保坂和志「小説をめぐって(三十)涙を流さなかった使途の第一信」

●「新潮」三月号の、保坂和志「小説をめぐって(三十)涙を流さなかった使途の第一信」を読んだ。この連載は、いつも、「新潮」が送られて来て最初に読むのだけど、二月始めのその時点で、はじめの方を少し読んで、猫の話になったあたりで、これは読むのにかなりパワーが必要そうだと感じて、改めて落ち着いた時に読もうと思っていったんやめて、そのまま今日まできてしまっていた。で、読んでみると、今回のは非常に凝縮されている感じで、「小説をめぐって」というより、限りなく「小説」に近づいているように思った。
最初はいつもの感じなのだけど、死んだ外猫の話が、その母猫から一族全体の話として時間に沿って書かれるところからドライブがかかったようで、延々語られる外猫の来歴の話が、まるで『ペドロ・パラモ』みたいな密度で語られるのだ。(それはちょっと言い過ぎだけど。)保坂氏は頻繁に猫について書く作家で、小説でも、この連載でも何度も猫が書かれているけど、そのどれともちょっと違った感じなのだ。「はしょってはしょって」書いたと書かれていて、もし小説としてこの顛末を書くなら、もっと丁寧に書かれたのかもしれないのだけど、その「はしょった」書き方が結果として、凝縮とドライブ感をつくりだしているのかもしれない。(ここでの猫の話は、猫に特別な愛着があるわけではないぼくにも、何と言うか、凄く伝わって来る感じだ。「凄く伝わって来る」なんて、凄くバカな言い方だけど。)
猫の話が済んだ後、小島信夫の話になり、『砂男』を分析するフロイトの話、それについての樫村晴香の引用、そしてまた小島信夫の話へと繋がってゆく間も、猫の話によって駆動されたドライブ感と凝縮度は(途中何度か途切れそうになりつつも)最後に近づくまで続く感じだった。この連載を読んでいつも感じるのは、「考え」が刺激される感じや、「考え」が動いてゆく感じなのだが、今回は「圧倒される」という感じで、つまりそれが「作品」と言いうる密度があるということなのではないだろうか。すごく久しぶりに、保坂和志の充実した短編小説(それも今までとはちょっと違った書き方のもの)を読んだ、という感触がある。ここで「小説」というのは、密度として、凝縮度として「小説」に匹敵するということで、形式として「小説」のようだ、ということではないと思う。(保坂氏は終わり近くに、猫の話の時に登場するTさんという人物と、小島信夫とが、イメージとして安易に重なってしまいそうであることを警戒する一文を書き付けている。つまり、安易に「小説」に似てしまうことは警戒されていると思う。)まあ、単純に、いつもより引用が少ないということもあるのかも知れないけど。
●しかし、結末の部分(最後の2ページ)は、やや結論を急いでいるという印象を感じた。結論のように示されている部分(小島信夫の死を悲しいと感じなかったのは、『寓話』の個人出版によって既に象徴的な場所=死者の位置へ移行を済ませていたからだ、というようなこと)は、保坂氏自身が書いているように物足りないと感じるし、涙を流す=去勢という結びつけも、あまりに精神分析に素直過ぎるように思われる。(しかしそのすぐ後に、『残光』で多くの人の死が語られるのは、それによって「しかし自分はまだ生きている」と作家が誇示しているということではないか、そして、私はそのように誇示する「師」に対して「屈するものか」と主張しているのかもしれない、と書かれる部分は、「結論」を超えた強さがあるように思えた。)
この文章全体としては、小島信夫の死がなぜ悲しくなかったかについて探られているというよりも、小島信夫の死と、チャッピーという猫の死、そして『カンバセイション・ピース』の登場人物のモデルとなった従兄の死という、近い時期に重なった身近な存在の死の、それぞれの死が自身に与えた感触の違いについて、行きつ戻りつしながら立体的に語られていると言うことがとりあえずは出来ると思う。小島信夫の小説は、あの頑健な身体抜きにはあり得なかったのではないかと書き、また、しかし自分は頑健な身体をもつ小島信夫とつき合っていたのではなく、あくまで小説家としての小島信夫とつき合っていたのだ、とも書く保坂氏は、そう簡単に「結論」へは行き着けないはずなのだ。あるいは、小島信夫の死の悲しく無さの理由を探るために引用されたはずのフロイトのテキストから、フロイトの分析そのものよりもむしろ、『砂男』のオリンピアの沈黙の方に強く惹かれてゆき、それが樫村晴香のテキストを呼び出すことになるような逸脱した流れは、性急に「結論」へと行き着こうとするものではないと思える。
しかしまた、この文章ははじめの方で、「小島さんの死の不思議さについて何かを書きたい」という限定がなされている。この限定が、性急な「結論」を導きだしたのだとしたら、つまり何かしらの「結論」をこそ保坂氏が欲していたのだとしたら、保坂氏はこの文章を必ずしも「小説」のようなものにしたかったのではなく、仮のものであっても何かしらの理路整然とした「結論」へ行き着くことこそが重要だったのだ、ということも言えるかもしれないのだが。もしかすると、ぼくが「凝縮」と感じているのは、このような、逸脱を抑制しようとする傾向によって生じたものなのかもしれない。
●言語と身体との乖離、そしてその乖離したものをどのように関係づけることが出来るのか、というのがおそらく保坂氏の一貫したテーマであって、ここでもそれが語られていると要約することは可能だろう。そして、ここで小島信夫の死を言語(metaphysics)の側へ置くことで、その死の悲しく無さを説明しようと(というか納得しようと)している、と。しかしこの文章で面白いのは、そのような説明に抵抗するようなエピソードの重なりであり厚みであるように思う。例えば、『寓話』を書いた小島信夫と『残光』を書いた小島信夫は同じ小島信夫ではないというようなことが書かれる時、そこにはやはり、言葉を支える、言葉を書く身体の存在が浮上する。しかしこの身体は、あくまで「小説を書く小島信夫の身体」であって、普通に生活する、頑健な小島信夫の身体とはまた別ではないのか、とも意識されるだろう。ではここで、「小説を書く小島信夫の身体」とは、言語の側にあるのか、身体の側にあるのか、簡単には割り切れない。(しかしそれでもなお、書かれた言葉としてある「小説」(本)は、言葉であることによって既に「死」の側にある以上、その作者としての小説家もまた、死(=metaphysics)の側にいるということなのだろうか。)あるいは、ここで保坂氏が非常に気にしていながらも、それについて充分に考えられなくてもどかしく感じられていると思われること、「埋葬されたチャッピーに花をたむける、という行為によって、一体自分は〈何をしているのか〉」ということもまた、言語(ここでは儀式化された行為としての「言語」)と身体とが、どのように交錯し得るのか、ということと深く関係があるように思える。