●引用。『マルグリット・デュラスの世界』より。この家は、私が生まれる前から、私のもののような気がする……。なぜ自分は、こののように書けないのか、このように話せないのか、と思う。
《映画を撮るには、物語を出発点にしなきゃならないといつも信じられてるけど、それは嘘ね。『ナタリー・グランジェ』について言えば、私が出発点にしたのは、完全にこの家よ。ほんとうに全くそうなのよ。私の頭の中には、どんなときにも絶えず家があった。そしてそれから物語がそこに宿り来た。わかるでしょう、とにかく、家は既に映画だった。》
《ひとは自分の家に、死にに戻ってくるのよ、いつも。自分の家で死ぬ方がいいのね。誰でも、身体が弱るとすぐ、自分の家に帰りたくなる。神秘的な場所ね、家って。でも……今、都市では、家というものがどういうものだなのか認識されているのかしら。私は、この家を持って、家というものを見出した。でも私には家が一軒あったの、ドルドーニュに、六つのとき。母が売ってしまったんだけど……私は官吏の娘で、少女時代、場所を替えてばかりいた。両親の任地が替わると、家を替えた。それから、パリでいくつかアパートを借りて、ここへ来てはじめて自分の家を持ったわけ。そして……私が生まれたのは、やはりここなのだという気がする。この家は、以前から……、私以前から、私が生まれる前から、私のもののような気がする。それほど、私はこの家を自分のものにした。》
《見た?、蜘蛛の巣を。あそこ、ほら、食堂にあるんだけど。どうしたらいい? あんなに高いところに届く長さの棒が見つからなくてね、そのままにしておいたの。そうしたら慣れてしまった。これも偏見ね、蜘蛛の巣というものは取るものだという。ある種の光が当たると、結構きれいよ。》
《近頃、奇妙なことがが起こったの。家には私ひとりしかいなくて、狭い台所で洗濯をしたところだった。台所は、むこうの端、小さな女の子の部屋の近くなんだけど、とても静かで、秋のはじめ、夕方頃だったかしら、そこへ、大きな蠅がやってきたの。蠅はランプの笠のなかで長いことぐるぐる回って、それから、ある時死んでしまい、死んだまま落ちてきた。蠅が死んだ時刻をメモしたのを覚えている。五時五十五分だったはずよ。私はもうそのとき既に映画の中に生きていた、ある映画の中に生きていた。それはたぶん、蠅の物語か、蠅の羽音を聴いている私の物語かだったんだけど、覚えていない、でもその場にいながら私はどこか別の場所にいたのね。それは既にどこか他の場所に移し替えられていたのよ。》
《毎年、夏になると、ラヴェンダーを摘んできて、そこに置いておく。そこには数年分のラヴェンダーがある。あそこよ、ドアの上。私が『ナタリー・グランジェ』を撮ったのは、よく庭を眺めるせいね、あそこ、あのドアから、あそこ。『ナタリー・グランジェ』は、私にとって、そう、透明性なのね、大まかに言えば部屋の透明性ということになるのね。》