●昼間はポロック展の展評を書いていた。ポロックについて900字で書くことはとても難しい。書きたいことはいくらでもあるのだが、900字でまとめ、それを多少でも意味のあるものにするのはとても難しい。夜は、書評のための本を読む。ここ一か月くらい延々と読んでいる長大な本。11年分の時評をまとめた、圧倒的であるとともにとりとめのない本。これについて2500字程度で何が書けるのか。明日はこの本の書評を書く予定。
時評的な文章で一番やっちゃいけないと思っているのが、紋切型の賛辞と単調な批判。政治性がミエミエのものであれ、一定の正当性があるものであれ、そういうものはひたすら退屈だ。とはいえ、たんに筆者の芸(や頭の良さ)をみせているだけのものや、スローガン的に「上手いことを言う」だけのものもうんざりさせられる。だが実際は、時評的な文章のほとんどがそんな感じだ。ぼくは、そんなものに意味を見出すことは出来ない。では、時評的な文章を少しでも意味あるものにするにはどうすればいいのだろうか。時評的な文章は、まとまった批評や研究ではないので、それほど突っ込んだ話が出来るわけでも、精度の高いことが言えるわけでもない。だからやはりある種の「芸」は不可欠だ。それは、対象(作品)と筆者の最初の接触の感触であり、文字通り(絵を描く時に必要な)「タッチ」の精度こそが問題になる。トラップなしで素早く正確に(出来る限り創造的な)パスを出す、というようなボール(作品)へのタッチの精度こそが問われるのだと思う。