2021-09-14

●『ふたりの真面目な女性』(ジェイン・ボウルズ)の二人の主人公、ミス・ゲーリングとコパーフィールド夫人は、第一部のパーティーの場面と、ラスト(第三部)のレストランの場面で、二度だけ会う。第一部のパーティーの場面で、ゲーリングは夫人に、前の晩に見た解体中の建物の話をする。

《ゆうべは街に住んでいる姉のソフィのところに泊まったの。それで、今朝はソフィの家でコーヒーを飲みながら、窓の真ん前に立っていたの。 今、隣の建物を壊しているところなのよ。 アパートでも建てるんじゃないかしら。 今朝はそれほど風が強くなかったけれど、雨が降ったり止んだりしていたわ。 窓の向かいはすでに壊されていて、わたしのいるところから建物の内部が見えたの。 部屋のなかにはまだところどころ家具が据え付けたままになっていた。 わたしは立ったまま、雨が壁紙に染みをつけていくのを見ていたわ。 花模様の壁紙にはすでに黒っぽく染みがついていたけど、 それが少しずつ広がっていくの》。

《そのようすを見ているうちにしまいに悲しくなってきて、その場を離れようとした時だったわ。その時、男のひとがひとり部屋に入ってきたの。落ち着いた足取りでベッドまで来ると、ベッドカバーをはずして畳むと腕に抱えたわ。あれは間違いなくそのひとの持ち物ね。 荷造りしていなかったものを取りに戻ったのよ。それからしばらくの間、部屋の中をあてもなく歩き回っていたけど、最後に部屋の隅まで行って肘を張って中庭を見おろしているの。こうしていると、あのときよりもっとはっきり、あのひとの姿が目に見えるようだわ。きっと芸術家なのよ。彼がそうしてじっと立ってるのを見ているうちに、わたし、だんだん怖くなってきたの。まるで悪夢の場面を見ているみたいだった》。

この話を聞いたコパーフィールド夫人の反応。

《「飛び下りたの、そのひと?」 コパーフィールド夫人が興奮して訊いた。

「いいえ。ただしばらくの間、興味深そうな好奇の表情を浮かべて中庭を見おろして立っていたわ」

「びっくりしたわ、ゲーリングさん」夫人は言った。「興味はすごくそそられたのよ。それは本当よ。ても、怖くて縮みあがりそうだった。とてもじゃないけど、これ以上、こんな話をおもしろがって聞く気にはなれないわ」》

解体中の建物と、そこに佇む一人の男。小説の初期段階で主人公たちに共有されるエピソードだが、このエピソードのもつ意味が、二人にとって異なっているように思う。ミス・ゲーリングにとってこのイメージは、自分が進んでいく方向を示す指針のようなものとしてある。だが、コパーフィールド夫人にとってこのイメージは、恐ろしい「世界の現状」であり、彼女はその恐怖から逃れて自分を保護してくれるような、壊れていない家を求めている。ミス・ゲーリングには、そこにいる男が、興味深い世界を観察する《芸術家》に見えるが、コパーフィールド夫人には、今にもそこから飛びおりて身を破滅させてしまいそうな危機にある人物のように感じられる。

コパーフィールド夫人には、尊敬すべき夫がいて、彼女はその夫を愛している。しかしそれでも、彼女にとって世界は壊れていて、恐怖はいまここに潜在してあり、その破れを埋めてくれる環境を探している。対してミス・ゲーリングは一人であるが、なぜか彼女のまわりには自然と人が集まってきて、家族的な環境が(それを望んだわけでもないのに)形作られる。彼女はその環境に愛着を持つが、その愛着を振り切って「恐怖」を感じるものの方へ移動していく。

●ミス・ゲーリングは、豪華な邸宅を売って、みすぼらしい島の小屋に移住する。彼女はその環境について次のように話す。この小説のミス・ゲーリングのパート(第三部)は、ほとんどがここで話されている範囲内での出来事だ。

《「島なんです」ミス・ゲーリングは言った。 「フェリーで行けばそれほど遠くないところよ。 子供の頃に行ったのを覚えてるけど、いつも本当に嫌だったわ。森や野原を歩いていると本土のにかわ工場の臭いが漂ってきて。島の一方の端は人口の多いところだけど、そこのお店ではろくな品物が手に入りません。そこを離れるともっと荒涼とした場所で、 時代からも取り残された感じがするの。そうは言っても、小さな列車がフェリーと頻繁に接続していて、島の反対側にも出られるわ。上陸するとすぐに、ひと気のない頑固な雰囲気の小さな町はあるけれど、ちょっと怖い感じがするかもしれない。向こう岸の陸地も島と同じようにみすぼらしくて、何にも保護してくれるものがない感じだから」》

《「たぶん島にもいろいろといいところがあるんでしょう。きっと僕たちを失望させるより、驚かせたほうがいいとお思いなんだ」

「今のところ、いいところは何も見つかっていないけど」 ミス・ゲーリングは言った。 「それじゃ、あなたもわたしたちといっしょにいらっしゃる?」》