2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

●古いトイピアノを見つけた。その底部に引き出しがあって、それを開くと何本もの古い使いかけのクレヨンが入っている。そのクレヨンの色や長さや配置を変えることで、そのトイピアノの音色が変わる。いろいろと配置を変えて試してみるけど、みつけた時のその…

●『松ケ根乱射事件』(山下敦弘)。久々にDVDで。救いもなければカタストロフもない。ただ、ひたすらストレスがきりきりと高まって行くばかり。希望にも絶望に安易に逃げることがない。肩に力が入ってもいなければ、抜けてもいない。ひたすらもやもやする。そ…

●サントリー学芸賞の岩井克人による選評(というか要約)を読むと、『記号と再帰--記号論の形式・プログラムの必然性』(田中久美子)という本が面白そう。 http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/si_reki0065.html 以下、岩井克人による選評の抜粋。 《(…)記号…

●夢の話。リリーフでの登板を要請されてマウンドへと向かう。試合が行われているのは、学校の教室と本屋とが混じったような空間(屋内)で、試合を観ているわけではない通りすがりの客もいる。というか、大半の人は試合になど関心なく通り過ぎてゆく。そういう…

●お知らせ。明日発売の「ユリイカ」五月号(特集・角田光代)に、ぼくが書いた「現在を現実へと着地させる装置=部屋/九十年代の角田光代」というテキストが載ります。 http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B3%D1%C5%C4%B8%F7%C2%E5 角田光代さんは、ぼくが…

●ゴダールの『ヌーヴェルヴァーグ』に、「なんとか新聞ですが批評についてのご意見を…」という台詞ではじまり、失敗ばかりするメイドの「わたしも一生懸命やっているのに誰も評価してくれない」という台詞で終わる、お金持ちたちがランチのために食堂に集ま…

●朝起きてからもずっと、昨日の夜テレビで観た「のだめカンタービレ」でのだめが弾いていたベートーベンのピアノソナタ31番が頭のなかに流れていたので、高橋悠治が演奏しているCDを引っ張り出してきてかけるという、夜中にラーメンを食べている番組を観てコ…

●芸術は意味とか物語とかではなく精度なんだなと、例えばゴダールを観ていると思うのだが、しかし、精度というのは解像度みたいなものとは全然別のことなのだ(確かに、解像度がある閾値を越えることで見えるものがまったく違ってしまうということもあるし、…

●久々に『右側に気をつけろ』をビデオで観た。何度観てもびっくりする。音の方に主に注意がいって、ついつい画面を見るのがおろそかになる。字幕を追っている余裕が全然ない。 この前の『ゴダール・ソシアリスム』についての平倉圭さんのレクチャーに引っ張…

●お知らせ。明日(22日)の東京新聞夕刊に、六本木国立新美術館のアーティストファイル展の松江泰治の展示についてのレビューが載るはずです。先週掲載の予定だったのが一週延びたので、また変更される可能性もありますが。 ●それにしても自分は、部屋の夢ばっ…

●夢のなかでアパートを追い出され、なんとか似たような条件の部屋をみつけ、ようやく引っ越しがすんでホッとしたところで、自分の部屋で目が覚めた。なんかすごい徒労感が…。 ●『あいにくの雨で』(麻耶雄嵩)を読んだ。麻耶雄嵩の小説には、自分のなかに予め…

●ここ一週間ちょっとくらいに集中していた、いくつかの期限のある約束を昨日までで果たし、それに対してとりあえずOKというリアクションも得たので、今日は一日ずっと、うとうとと眠っては起き、また眠っては起き、と、怠惰な浅い眠りのなかにいた。雨の気配…

●今、行っている行為が、現在から時間的に先への方向性をもつ、新たな行為への探索であると同時に、その行為によって遡行的に過去の行為の意味が確定されたり、あるいは行為の組織のあり様が組み替えられるといった過去へと向かうものでもあるというのは、別…

●「面白いことをやろうとする」ことと、「上手いことを言おうとする」こととは全然別のことなんだと思う。「上手いことを言おうとする」ってすごく嫌なことだなと思う。あるいは、「上手いこと言った」ことに感心してしまうのって、すごく嫌だなと思う。しか…

●五月の大江健三郎シンポジウムの講演原稿を近く提出しなければいけないので、ここ何日かかけて『水死』を読んでいたのだが、この小説はやはり半端なくすごい。さらっと読み流せるページが一頁もないというか、すべての部分で細部がみっしり詰まっていて、そ…

●保坂和志さん、磯崎憲一郎さんとお会いした。 ●磯崎さんから、「「ふたつの入り口」が与えられたとせよ」の感想をいただく。読むのに異様に時間がかかる。描写が下手(一点から広がってゆく感じではなく視点が飛び飛びに散らかる)。いかにもアニメ好きが書い…

●もうちょっと、『飽きる力』(河本英夫)から引用、メモ。それにしても、昨日引用した《今月は家計が苦しくなると思いながらでも、おいしいものはやはりおいしいのです。何かとめどもない半ば空虚な状態が襲ってきます。本気で物を考える気も失せます。》って…

●ぼくは子供のころからずっと、父に似ている、瓜二つだ、と言われ続けていたのだが、中年と言ってよい年齢になってからは、母に似ていると言われることの方が多くなった(昨年末に個展をした時、両親が観に来て帰った後に、ギャラリーの人から「お母様にそっ…

●引用、メモ。『飽きる力』(河本英夫)より。 河本英夫はマトゥラーナ/ヴァレラの『オートポイエーシス』を翻訳した時、このままではまったく理解されないと思い、オートポイエーシスに関する資料を集めて読み込み、原稿用紙100枚くらいになる解説を書く。そ…

●昨年末にテレビの取材を受けた。ある画家についての特集番組で、ぼくがその画家について書いたテキストを読んだと言う。ちらっとコメントするくらいだろうと思っていたが、打ち合わせをすると、結構がっつり喋るみたいだった。ちょうど個展をしている時期だ…

●ここ三、四日ずっと原稿を書いている。原稿を書いているといっぱいいっぱいで外にまったく出られなくなる。なんとか投票所にまでは行ったが、オンゴーイングの利部志穂展が最終日なのに出かけられなかった。 字数がぴっちり決まっている短い原稿は、こっち…

●ぼくにとっては、絵画は、光と重力によって紙一重で現実(世界)とのつながりを見出し得るというものだ。絵画は光と重力のなかにあるもので、光と重力との関係において成立する。光と重力に抗するとしても、それは光と重力のなかで、光と重力との関係において…

●携帯電話の振動で目が覚め、メールを見たら「ちい散歩か西八王子ですよ」と書いてあって、テレビをつけた。知っている場所を歩く地井武男を観ていると、その距離感が分かるので、かなり長い距離をがっつり歩いているんだなあと思う。気楽な散歩っていう距離…

●地震があった時、Y夫妻、Eくん、Oさんと五人で、井の頭線の池ノ上駅へと向かう途中だった。地震だと誰かが言って、見上げると街灯が揺れていた。立ち止まると地面が揺れているのが分かる。揺れはそれほど大きくはないが、下から突き上げる力と地面が波打つ…

●お知らせ。七日発売の「新潮」五月号に、青山七恵『わたしの彼氏』の書評(「三人の姉と三人の女+一」)を書いています。「呪い」とどのように付き合ってゆくのか、という小説だと思います。この小説をぼくは三月十一日の夜に読んでいました。 ●すごく良い天…

●お知らせ。五月五日に紀伊国屋サザンシアターで行われる「日中韓 大江小説読みくらべ」というシンポジウムに参加します。 http://www.kinokuniya.co.jp/label/20110404113358.html ぼくは『水死』について二十分くらい喋る予定です。全体としては『水死』を…

●国立新美術館に、もう一度松江泰治を観に行った。 ●松江泰治の作品の衝撃は、まずそれが身体と完全に切り離された視覚であるところから来るのかもしれない。それは主に、視点の位置と異様な解像度とフレームの限定による。身体をもった人は、まず、そのよう…

●知っていることと知らないことについての四つのあり様。(1)わたしはそれを知っているし、自分がそれを知っているということも知っている。(2)わたしはそれを知っているが、自分がそれを知っているということを知らない。(3)わたしはそれを知らないが、自分…

●朝、テレビをつけっぱなしにして別のことをしていた時に聞こえてきたことで、テレビでは避難所で過ごす被災者のための生活上の注意点みたいな話をしていて聞き流していたのだが、そこで、被災した子供たちのストレスの解消法のひとつとして「災害ごっこ」が…

●作品には、そこでやめなければならないという地点がある。いや、より正確には、それ以上に手を入れてはいけないという地点がある。もし、その地点が来てもなお作品の状態に十分に満足が出来ないのだとしても、それ以上に手を入れると、わずかにでもあるかも…