2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

●作品を進展させてゆく時にあり得る方向性には、大ざっぱに二種類あると思う。一つは、作品そのものの構造をより複雑にしていったり、細部の解像度をあげてゆくという方向性。もう一つは、作品それ自体のあり様はシンプルであっても、そのシンプルさが、それ…

●お知らせ。「映画芸術」436号に、テレンス・マリック『ツリー・オブ・ライフ』のレビュー(「浮力と重力、ヴィジョンとその根拠」)を書いています。 ●久しぶりにビデオで『クーリンチェ少年殺人事件』(エドワード・ヤン)を観た。たっぷり四時間ちかく、熱帯…

●『輪るピングドラム』四話目。 前回はカレー=排泄物、今回はスカンク=オナラを、ヒロインの一人(リンゴ)が思いっきり浴びせられるという、二話つづきのスカトロ的な展開。前回は他にも、(ヒマリが)牛乳飲み過ぎてゲップというのもあったし。身体的なノイズ…

●よく描くためにゆっくりと見るのか、ゆっくりと見るために描くのか。 視覚はどちらかというと瞬時にものを捉える感覚だから、ものをゆっくりと見るのは案外難しい。謎のように複雑な形態をもっているものでも、異様に粒だった細部をもったものでも、そうそ…

●ゆっくり歩くのは難しい。それと同じくらい、ゆっくり書く(描く)のは難しい。 ゆっくりのまま長く歩くのは難しい。短い時間は意識すればゆっくり歩けても、いつの間にか、普段のスピードにもどってしまう。ゆっくり歩くためには、それにふさわしい筋力を鍛…

●まぐれ当たりでも何でもいいから、とにかく一度ジャストミートの感覚を経験すれば、その感触はからだが憶えているから、その感触を頼りに手さぐりして、そこからいろいろな探求をしてゆくことも出来るけど、そもそも、一度もジャストミートの経験がなければ…

●最近撮った写真。

●最近ときどき、ほぼイメージの伴わない、言葉(文字)だけの夢を見ることがある。ひたすら、文章を書いたり書き直したりしているのだけど、例えばパソコンのキーボードを叩いているという具体的な設定が無く、パソコンの画面がそのまま夢みたいな感じで、言葉…

●新宿のジュンク堂で、青木淳悟・磯崎憲一郎・佐々木敦のトーク。トーク中、青木さんが『私のいない高校』の元となった手記『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』の本を聴衆に見せるためにリュックから取り出して、そのリュックを床に置いた時、リュック…

●他人の家で目覚めた(終電逃して、泊めていただいた)。外から障子越しにとてもきれいな光が射している。はじめて歩く、人の家から駅までの道。避暑地のような空気と光(陽が強く射してるけど暑くない)。国分寺だけど。 ●ここ数日、すごく眠い。台風のせいで眠…

●知性とはパターン認識であり、パターン認識はこの世界のなかに再帰性(同一なものの回帰)を見出す。そして、パターンの安定的な再帰性(への期待)を支えている根拠として概念化されたものが「事物(パターンを表現すると同時に保持する支持体-媒体)」と言うと…

●投手によってボールが投げられ、打者のスイングがボールの芯とバットの芯とを的確に対応させるという出来事が起こる。この出来事は、イメージでも言語でもない。しかし、その打ち返されたボールが、ヒットになったりならなかったりするのは、野球というゲー…

●『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』(クロード・シャブロル)をDVDで。この映画には勿論、様々な方向へ向かう複数の力の作用があり、その引っ張り合い、せめぎ合い、絡まり合いがあって、それに伴って、様々な力たちによって描き出される関係の図像が動いて…

●引用、メモ。『来たるべき思想史』(清水高志)第八章「想像力と三つの倫理」から。以下に引用する想像力(想像的なもの)と、昨日、一昨日に引用した荒川修作のイメージへの不信とが、どのように関係するのだろうかということが気になる。 ●まずオスカー・ワイ…

●テレビの画面の左下に、大きく「アナログ放送終了まであと七日」と出ている。あと一週間なのかと思う。 ●昨日の続きの引用、メモ。「春についての対話」(荒川修作・小林康夫)より。 ●《小林 僕は、要するに大人になっちゃった人間が、自分の誕生を超えて彼…

●編集者の反応はまだだけど、とりあえず締切までに原稿が書けたのでちょっとほっとして、一日ぼんやりしていた。今日は原稿は書かないので、コーヒー代を払って喫茶店に涼みに行くのは「贅沢な行為」となってしまうので我慢して、暑い部屋のなかで本を読む。…

●『輪るピングドラム』の二話を観た。面白かった。こんな感じでガンガン行っちゃってほしい。ちょっとだけ、先の展開の匂いのようなものが感じられた。 ●「生存戦略」というのはおそらく、生殖にかかわるさまざまなことがら(性欲、性愛、懐妊…、そして死)を…

●最近、写真は、サイズを大きくしたことにへんに縛られてる感じがする。あくまで気楽なスナップとして撮っていたつもりが、作品とまではいかないものの、ちょっとした完成度みたいなのを目指すようになって、なんか中途半端になって、かえってヌルくなってる…

●まだ削除されてなかったので、『輪るピングドラム』をもう一回観られた。 先の展開は全然みえないけど、一話を観ただけの感じだと『輪るピングドラム』の話は、アプダクション(パースの仮説形成じゃなくて宇宙人に誘拐される方、というか、ボティースナッチ…

●夏の、昼間の、光。午後一時前後。

●幾原邦彦の「ウテナ」劇場版以来12年ぶりとなる新作の放送がはじまったという話をどこかでちらっと目にして、おおーっと思うものの、どうせぼくはDVDになるまで観られないから、観られるのはやくて半年先だなあと思いつつ、情報を求めて検索していたら、お…

●関係は、それ自体としては目に見えない。しかしそのような関係の感触を、目に見えたり、手で触れたり出来るものと同じように、触れるように感知すること。そして、関係と関係との関係をも感じ取ること。とはいえ、関係と関係との関係は潜在的なもので、それ…

●洗濯機をまわしてから出かけ、数時間経って帰ると、洗濯槽のなかの洗濯物がなんかなまあたたかかった。 ●今日の画像。空。そういえば九十年代の終わり頃、二枚目の画像のような絵を描いていた。

●ちょっと大きめのデジタル写真(これでオリジナルの三割くらいの大きさ)。 今回のは「高さ」を意識した。一枚目と五枚目は、駅の階段を上ったところから駅前のロータリーを撮った(一枚目は下を向けて、二枚目はほぼ水平)。二枚目は、建物の二階にある喫茶店…

●お知らせ。「文藝」2011秋号に、『私のいない高校』(青木淳悟)の書評を書きました。あと、明日、8日付の東京新聞夕刊に、「バウル・クレー/おわらないアトリエ」展のレビューが載る予定です。 ●大江健三郎の小説を読んでいると、この作家がいかに分身にとり…

●三鷹市文化センター星のホールでサンプル『ゲヘナにて』。ずいぶん久しぶりにサンプルが観られた。多分、『通過』の再演の時以来だから、二年ぶりくらいになる。いろいろ余裕のない生活をしていると演劇を観ることが難しい。サンプルが公演していることを知…

●サイズ大き目のデジタル写真。 二枚目の写真は、ぼくには自転車がダンスしてるみたいに見える。三枚目の写真の自販機やその背後の家にも、なんとなく人間的なたたずまいを感じる。とはいえ、一昨日の写真も、今日の写真も、「人間ではないもの」によって見…

●引用、メモ。ブルーノ・ラトゥール「の終焉/アクターネットワーク理論とガブリエル・タルド」(「VOL 05」)より。 タルドは、社会学の創生期にデュルケムのライバルだった人で、デュルケム的な社会学がヘゲモニーを握るようになって一時忘れ去られたのだが、…

●最近は、夜十時ころには寝てしまって、朝四時くらいに起きる(でもこのようなリズムは何かあると簡単に崩れて、昼夜逆転になったりもする、ようするに不規則なのだが)。朝の四時から五時くらいは一日でもっとも涼しい時間で、だから起きるとすぐ、部屋中の窓…

●ぼくは「ぼくら(ぼくたち)」という言葉がよほど嫌いみたいで、なんかどうでもいいような細かいところでいちいちそこに引っかかってしまう。ぼくと、別のぼくとが、仲よくなったり、敵対したり、共感したり、違和感を抱いたりする時、決して「ぼくら」的なも…