2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

●身体は、ディシプリン(規律訓練)によって生まれる。ディシプリンがなければ身体はない。身体が規制されるのではなく、規制が身体となる。ディシプリンという言葉が強すぎるなら、それを習慣、あるいは作法やリズムと言い換えてもよいかもしれない。 例え…

●『死なないために』(アラカワ+ギンズ)をずいぶん久しぶりに通してじっくりと読んだ。この本の日本語版が出たのが88年で、おそらくぼくはその年に買った。それから24年経った。その間に四回の引っ越しをしたのだが、それでもまだその時の本が手元にある。こ…

●『量子力学は世界を記述できるか』のつづきを読んでゆくと、昨日書いたことはけっこう的外れっぽいかもしれない。でも、それはそれでよい。というか、むしろその方が面白い。 ●最近意識的に、本を最後まで読まないうちに、途中でその感想を書くということを…

●サイコロは六つの目をもつ。つまり「6」の異なる可能性=情報量をもつ。だがサイコロを振ると目が確定し、それ以外の可能性は消え、情報量は廃棄される(ここで「情報量」とは日常語と意味が異なり、可能性の量のことをいう)。その時に廃棄されたた情報量…

●SCAI THE BATHHOUSEに横尾忠則を観に行く。 ●上野駅から上野公園を通って行く。上野公園を歩きながら、「公園」というのはまさに都市的な場所なのだなあと思う。空間的にも、時間的にも、そして感情的にも、ゆるい雑踏。たとえば、渋谷のスクランブル交差点…

●まだはじめの2章を読んだだけだけど、『量子力学は世界を記述できるか』(佐藤文隆)が面白い。ドイッチュが量子力学を「実在のファブリック」を追究するものだと考えるのに対し、逆の立場というか、佐藤文隆は、量子力学(の半分)はあくまで、「行動のための…

●気温は高めだったが、だからこそいっそう、既にもう夏でないことがはっきりした。一昨日の22日に秋なったのだということが改めて思い知る。 ●10月9日のイベントで使う写真を選ぶ作業をする。ここ一、二年で撮影したものに限っても、撮りっぱなしで全然整理…

●ちょっと昨日のつづき。ドイッチュがきっぱりとカオス理論を否定するのはそれが量子コンピュータの原理にかかわるからだ。 ●量子力学を説明する有名な実験――光子をスリットに向けて一個ずつ発射しても波のような干渉があらわれる――についてのドイッチュの見…

●急に涼しくなった。風を通すために昼間じゅう玄関を開け放しているのだが、蚊取り線香を焚かなくても蚊がいない。昨日まででは考えられないことだ。一日でこんなにかわるものなのか。そういえば、この夏ずっと雨がなくて、ちょっと前にようやく数日雨がつづ…

●お知らせ。発売中の季刊「やまかわうみ」vol.6(2012秋)に、「「関係の絶対性」と「不可避の一本道」をめぐって/倫理と知と自然」が掲載されています。 http://www.webarts.co.jp/book/book_077.htm 吉本隆明の「マチウ書試論」と『最後の親鸞』について書き…

●レビューを書く都合があって、クローネンバーグの新しい作品(『危険なメソッド』)をサンプル版のDVDで、この十日くらいで三回観た。ユングと、ユングの奥さん、患者で愛人であり後に精神科医になった女性(ザビーナ)、そしてフロイトとの関係を描いている。…

●夕陽がすごいよというメールをもらって外に出て、おーっと思って写真に撮ろうとしたら携帯の電池が切れた。 ●前に、神林長平の小説について、提出されている問題とその解答が食い違っているのではないかというようなことを書いた。 http://d.hatena.ne.jp/f…

●ゲラになった状態で自分の書いた小説を読んだ。自分が書いたのだから当然なのだが、自分にとっては面白い。文芸誌のページにしてわずか12ページしかなく、あっさり読み終わってしまう短い小説だけど、これだけ書くのに半年くらいうんうんうなっていたのだ。…

●尾道で撮った写真。その二。 ●なびす画廊の松浦寿夫展は、最近のこの画家の仕事のなかでは断トツに良いんじゃないかと思った。正直、最近の仕事はちょっと物足りない感じがしていた(仙川の展示とか)のだけど、今回のは突き抜けていると思った。いや、今まで…

●尾道で撮った写真。その一。

●出歩いた日。横浜の神奈川芸術劇場で快快『りんご』。そのあと、山下公園(今週二度目)。銀座なびす画廊で松浦寿夫展。そして、馬喰町のギャラリーαМで、浅見貴子展の深夜のシークレット・クロージング(林家たい平ミニ落語会)。 ●浅見展のイベントが深夜だっ…

●八月に撮った写真。その二。

●磯崎憲一郎「脱走」(「文學界」10月号)。連作の四つめ。前の「見張りの男」があってその次にこの「脱走」とつづくとき、そこから感じられる切迫感は半端ではないように感じる。この切迫感は、一定の収入があり、(会社的にも家庭的にも)責任ある立場にいるよ…

●八月に撮った写真。その一。 うーん、もう少し大きいサイズで表示できないと、これらの写真でやろうとしていることは伝わりにくいかもしれないとも思う。でも、はてなだとこのサイズが精一杯。

●確認もせずにバス停で来たバスに乗ったら、いつも乗るのとは全然違う経路を走るバスだった。今は、子供のころから慣れ親しんだ土地に住んでいるのだが、このバス停にこんな経路のバスが通っていたことを知らなかった(新しくできたのかもしれない)。最終的な…

●『贖罪』(黒沢清)五話をDVDで。これはすごい傑作で、一話から四話まで観ながら感じていたもやもや(おとといの日記参照)は吹き飛び、圧倒された。少なくとも「観ている」時間のなかでは。 お話としてはこれまでの四話と同様に、というかこれまで以上に下らな…

●DVDで『コクリコ坂から』を観はじめたのだが、これがぼくには耐えられなくて四十分くらいのところで再生を止めてしまった。最初の朝食の場面はとても丁寧につくってあったし、坂道や上下運動の自然な導入もまあまあ良い感じで(空間的な感覚としては、面白い…

●『贖罪』(黒沢清)の二話から四話をDVDで(最終話はまだ観ていない)。うーんと唸ってしまった。これはどう考えたらよいのだろうか。 演出家として、あるいは映画作家としての黒沢清のすごさが遺憾なく発揮されている。黒沢清はほんとにすげえなあと思う。それ…

●『緑のさる』(山下澄人)。最初の方は、どんな感じなのだろうと様子見というか足下を探るように、そろりそろりと読み始め、中盤くらいになると調子が掴めた感じでどんどん面白くなる。とはいえ、山下さんのつくったFICTIONの舞台をいくつか観ているというこ…

●昨日の近代美術館での小林耕平のパフォーマンス(というか、ぼくはあれを普通に小林耕平による「講演」として受け取ったのだが)を見聞きしながら、もしこれを西川アサキが聞いていたらどう思うのだろうかと考えていた。これを見聞きした西川さんの感想を聞き…

●竹橋の国立近代美術館で、14の夕べ、小林耕平(+山形育弘)の回。ちょっと、どうしたらよいのか分からないというくらい興奮した。小林耕平の話に興奮しすぎて、小林耕平の話を落ち着いて聞いていられないくらいだった。小林耕平の話によって導かれた「気づき…

●ゆっくり寝ているつもりだったのに朝早く目が覚めてしまう。疲れが残っている。延滞していた本を返しに図書館まで歩く足取りも重い。 ●半年くらいかけて書いた短い小説(タイトルは「セザンヌの犬」)を発表できる目途がたった。とてもうれしい。 ●一昨日のこ…

●自分のことを旅慣れていないなあとつくづく思うのだが、昨日は興奮して調子に乗って朝からずっと歩き通しで、しかも夕方から深夜一時過ぎまで飲んでいたので、今日は渡船で尾道の対岸の向島に渡っていろいろ散策しようと思っていたのに、朝起きたら、からだ…

●今日は歩いた。こんなに歩いたのはイタリアへ旅行した時以来ではないか。 ●一泊して帰る予定だったのだけど、せっかく尾道まで来たのだし、もう一泊してゆくことにしたので、今日は帰らなくてもよい。 ●良く晴れていて、宿を出て海の方へ歩くと昨日とは海の…

●尾道へ。新幹線に四時間半以上乗ることになるので、さすがに窓の外ばかり見ているのも飽きるだろうと思って本を持って行ったのだけど、けっきょく本は開かれることなく、外の景色をずっと見ていた。 ●レクチャーは、一部でぼくが話をして、二部では地元のデ…