2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

●ツタヤをぶらついている時に思いついたのだけど、なぜ多くの人は「一般的ではない作品」に拒否反応を示すのかというと、下手に「一般的ではない作品」を好きになってしまったりすると、どうしても秘密にしておけなくて、つい誰かにそのことについて喋ってし…

●「オブジェクト指向存在論」は、雑駁にとらえれば、「私――/(私の知覚)/――世界」という関係の問題において、私と世界とを媒介する「私の知覚」から「私」を取り除いて、そこにモノや媒介の機能を代入するという方向性をもつように思われる。そこで、モノや媒…

●読書ノート。ベルトラン・プレヴォー「コスミック・コスメティック」(「現代思想」2015年1月号)。 ジンメル(「身体」と「装い」が不一致であればあるほど優美に見える)から、ボルトマン(動物の「模様」の有機的でも無機的でもない非有機性)へつなぐことで、…

●仮に、永遠にサイコロを振りつづける機械があったとする。サイコロが次に何を出すのかは予測できないが、一から六のすべての目が等しく六分の一の確率で出るとする。これを世界とする。 このサイコロ世界に、サイコロの出た目を観測する観測者が生まれる。…

●『ユリ熊嵐』第四話。今回は、幾原ワールドのエッセンスみたいな話だった。「断絶の壁」の外へ向かう二人(二匹)の後ろ姿のカットを観て、「ウテナ」の最終回を思い出したりした。 お姫様幻想とその破綻、無償の贈与、その贈与が果てしなく反復的に回帰する…

●NHKスペシャル「ネクストワールド」をことごとく観逃してしまっている。再放送はあるのだろうか。「サイエンス・ゼロ」は観たけど。 ●読書ノート。岡本源太「眼差しなき自然の美学へ」(「現代思想」2015年1月号) イメージはかならずしも「見られること」を…

●読書ノート。岡本源太「芸術作品、プロトタイプ、理論的対象」(「であ、しゅとぅるむ」カタログ所収)。 「作品は何を言っているのか」でも「作品は何を行っているのか」でもなく、「作品は何を考えているのか」について。「理論的対象」としての芸術作品 1.…

●読書ノート。岡本源太「囚われの身の想像力と解放されたアナクロニズム」(「現代思想」2013年1月号)。 表象することの不可能性ではなく、「表象しないことの不可能性」について。 ○2011年ニューヨーク『セプテンバー・イレブン』展(MoMA) →9・11を主題とし…

●「東京新聞」の末永史尚「放課後リミックス」展の記事は、そもそも900字では書ききれないことを無理矢理900字に詰め込もうとして、結果として何を言いたいかがいまひとつ明快とはいえない文章になってしまったかもしれないという感じがあるので、昨日につづ…

●お知らせ。明日、1月23日づけ「東京新聞」夕刊に、3331アーツ千代田のなかにあるMaki Fine Artsでやっている末永史尚「放課後リミックス」展のレビューが掲載されます。 新聞の評なのであまり難しいことは書けなかったのですが、この記事で「作品の経験的な…

●『ユリ熊嵐』第三話。主人公(紅羽)と熊(銀子)との関係が少し見え始めてきた。おそらくこの二人は、宿命的な敵同士であると同時に、最も親しい友人になり得る、という関係なのだろう。 これはやはり、ウテナとアンシーとの関係を想起させる。アンシーは、自…

●グレアム・ハーマン「代替因果について」(岡本源太・訳「現代思想」2014年1月号)の読書ノート。第4節、魅力と因果。これで完結。 すべての「実在的対象」間の関係は、ただある種の「暗示」によってのみ生じる。よって≪美学こそが第一哲学にほかならない≫。…

●グレアム・ハーマン「代替因果について」(岡本源太・訳「現代思想」2014年1月号)の読書ノート。第3節、存在論と形而上学。オブジェクト指向。ビー玉とテーブルの哲学。 3.存在論と形而上学 「存在論」と「形而上学」には確固とした違いはない→哲学者それぞ…

●ハーマン「代替因果について」(岡本源太・訳「現代思想」2014年1月号)の読書ノート。出だしから、第2節ジグソーパズルまで。 ○実在論の擁護→精神なき原子とビリヤードの実在論ではなく「怪奇実在論」 (おたがいに底知れない深淵から合図を投げ合いながらも…

●お知らせ。この春に、尾道にある「空間あいまい」というスペースで個展をやります。会期は、3月14日(土)〜4月12日(日)の約一か月間です。お近くの方、また、会期中にお近くへの旅行の予定がある方、ぜひ観てください。よろしくお願いいたします。詳細…

●もう寝ようと思って、焼酎のお湯割りを飲みながらNHK-BSの「洋楽グラフティー60's」という、昔の映像を流しっぱなしの番組をぼーっと観ていたら、ザ・スプリームスの「You Keep Me Hangin' On」が流れてきて(「シュープリームス」だと思ってたのにいつの間…

●昨日のことだが、ギャラリーαМで西原功織・展を観て、これは高度な形式主義ではないか、と感じた。 ここで形式とは、絵画制作のメソッドとスキルのこと。つまり、ある一般的な絵画の形式(メソッド・スキル)があれば、どのような異質なイメージ、どのような…

●ICCの「音楽と美術のあいだ」(大友良英)がすばらしかった(「quartets」)。展示場から出てきて時計を観たら一時間半以上なかに居たと知って、驚いた。ただ、ここで「すばらしい」というのは、この装置によって得られる経験としてすばらしいということで、美…

●『ユリ熊嵐』。二話目にしてはやくも予想外の超展開。もし、名前に「百合」のつくキャラがみんな熊なのだとすると、「箱仲ユリーカ」はどうなるのか。とはいえ、「百合=熊」という分かり易い「読ませ方」こそがミスリードを誘うエサかもしれないけど。 ●百…

●今までになかった観測装置によって得られるデータ、そのデータの新たな解析技法、それらを利用した道具などは、世界をそれ以前までとはまったく違ったものに変化させ、それに対峙する「わたし」のありようも変化させる。 『データの見えざる手』には、次の…

●深夜アニメ。『暗殺教室』を観て、これってつまり新手の『GTO』ということなのだろうか、ここまでエグいことをやらないともはや『GTO』は成り立たないということなのか、と書こうとして、『GTO』というタイトルがなかなか思い出せなかった(歳をとると本当に…

●エリー・デューリング「プロトタイプ」(武田宙也・訳「現代思想」2015年1月号)を読んだ。とても面白かった。でも、けっこうややこしい話なので、後になってからでも、読んだことを頭のなかで再現できるようにメモを書いてみた。 (最後のデュシャンのところ…

●深夜アニメ。今期は『ユリ熊嵐』に没入してしまうかもしれなくて(まだわからないけど、今のところ期待大)、そうするとあまり数は観られないかもしれない。前期からつづいている『SHIROBAKO』『Gレコ』『寄生獣』と、あと『アルノドア・ゼロ』第二期と、『暗…

●『データの見えざる手』(矢野和男)という本の、第一章だけ読んだのだけど、これは恐ろしい本だ。この本のイントロダクションには、「科学の進歩のきっかけの多くは、新たな計測データの取得から」というようなことが書かれているのだが、本文を読むと、この…

●読書メモ。清水高志「交差交換と人間」(「現代思想」2015年1月号) 1. 非統合と個 自然と文化は、少しも二つの別の領域ではない。(ハーマン) 諸物が相互に働きかけ、そこに因果性や法則が見いだされるとはいかなることか。 作用や影響はいずれからいずれへ完…

●シネマート新宿で『自由が丘で』(ホン・サンス)。 ホン・サンスは、増々自由に、増々変になってゆく。一時期、ホン・サンスは韓国のロメールみたいな言われ方をしていたのだけど、ロメールとは根本的に違うとずっと思っていて、この作品を観て、むしろ(晩年…

●『ユリ熊嵐』第一話。快調な滑り出しという感じ。とても楽しい。 「ピングドラム」では、まずなんといっても「せいぞーんせんりゃくー」で、がっつりと人の心を掴んだのだけど、「ユリ熊嵐」では、そのような一発掴みはなくて、そのかわりたくさんのギミッ…

●『5つ数えれば君の夢』(山戸結希)をDVDで。これはすごかった。男の子のいない(まったくいないわけではないけど)『台風クラブ』という感じ。 この映画の素晴らしさを端的に表しているのは、なんといっても屋上の空間の造形だと思う。物語的に考えれば、普通…

●富士山が真っ白だった。 ●下の写真は昨日撮ったもの。高い木のてっぺん近いところの細い枝に、大きな白い鳥がとまっていた。いつも川にいるシラサギだと思うけど、川から離れたところでははじめて見た。 ●ぼくの携帯カメラのズームの限界。

●十二月に撮った写真。その二。