2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

●今日は久々に、「geography」ではなく「Plants」のシリーズの作品をつくった。 十年ちかくずっと、主にアクリル系の絵の具で作品をつくっていて、この二年くらい、こわごわと油絵の具を試していたという感じだったが、ここにきて油絵の具が中心となった。ア…

●とりあえず「geography」と呼ぶことにした、新しい傾向の作品がアトリエのなかに少しずつ増殖してきていて、ドキドキする。アトリエに違う空気が生まれつつある。あたらしいと言っても、けっきょくキャンバスに油絵の具で描いてるわけだし、今までと全然違…

●メラニー・クラインの原空想、内的対象についての引用。これはおそらく、昨日、一昨日の日記に書いたことと関係がある。「思い懐かれることのない空想」としての原空想という概念は、なぜか強烈に荒川修作を感じさせるものがある気がする。メラニー・クライ…

●昨日書いたラカンの話ととても深いところで響き合うことをフーコーが書いている。夢と想像力についてのとてもうつくしいテキストである「ビンスワンガー『夢と実存』序論」(最後の「5」の部分がすばらしい)。 例えば「ピエールについての心像」(私がピエール…

●夢のなかで自分が高校生であるということは、わりとよくある。しかしその時、多くの場合、一度高校を卒業した後、なぜなのか(同じ高校に)もう一度入学し直した高校生ということになっている。自分だけ三つくらい年上であり、ここでの生活は既に一度経験済み…

●人間の身体の、形態としての(あるいは構造としての)左右対称性と、機能としての非対称性とのズレというものがある。目は二つあり、手と足は二本あるが、その機能は左右同じではなく、それぞれ利き目、利き手、利き足がある(利き耳というのはあるのだろうか?…

●アスファルトに落ちる影が青みががって見える。すっかり夏の光だと思った。夏至は二三日前に過ぎた。今年は、七月八月は雨ばっかりで、けっきょく夏は六月だけだったな、ということにならなければいいけど。 ●ずっともやもやしていた用事が終わってやっとす…

●セザンヌには、エスタックからマルセイユ湾を描いた絵が何枚かあって(高台から海を見下ろす感じ)、それらの絵には(それらの絵にしかない)、遠くの海が水の量感として迫ってくる圧倒的な感覚がある。セザンヌは、このエスタックという土地、そこから見える海…

●二つの川が交わるところで視界がすーっと遠くまで開ける。南浅川を下流の方に向かって歩いていて、浅川との合流点にたどり着く。川幅と河川敷の幅がぐっと広がる。そこでいつも、視線がぐーっと遠くへ延びるという感覚を得る。遠くへ延びる視線は、下流側よ…

●明け方、ニワトリの声を聞いた。今のアパートに越して六年くらいになるけど、はじめてだった。近所で誰か飼いはじめたのか。 ●トウモロコシを送っていただく。蒸して食べた。 ●黄色いパプリカと、赤いトマトと、緑色のきゅうりを、ざくざく切って、塩とオリ…

●野上亨介さんの『RED RED RIVER 2』(http://d.hatena.ne.jp/rrr2/20100617/1276775307)という映画の撮影のお手伝いをした。お手伝いというか、出演した。林のなかで木の枝を拾ったり、走ったりしているところを撮られた(あんなに長い距離、思い切り走ったの…

●『集中講義・精神分析』(藤山直樹)によると、精神分析というプラクティスは精神分析によってしか学ぶことが出来ないもので、あらゆる分析家は、自分以外の別の分析家による分析を長年受け続けることによってのみ分析家となり得るという。筆者が分析家を志し…

●「ビリジアン」15回目は予備校の話だった。ルー・リードが道頓堀で釣りをしている話でもある。「おれの詩集が出てるはずやから、本屋に行ってみたらええわ。真っ黒い本やから、すぐにわかると思うし」と《ルーさん》が言う。最後のページの左側に美術系予備…

●起きたらすごく天気がよくて、天気予報だと明日から当分天気が悪いようなので、今日は制作はお休みにして外をうろうろ歩く。ついでに立川まで足を伸ばして足りない画材を買う。 ●立川でふらっと立ち寄ったオリオン書房でなんとなく目について買った、藤山直…

●今日一日だけで、F30サイズの絵2点と、F25サイズの絵1点、全部で3点も描けてしまった(新シリーズ「geography」の滑り出し)。昨日、掴んだと思った感触は、今のところまだ「まぼろし」となって消えてはいないようだ。昨日も3点とか言ってたけど、昨日のは小…

●今日、とつぜん、いままでの「Plants」とは違った、もしかしたら新しいシリーズになり得るかもしれない作品が三点描けてしまった。もし、この感じが今後も継続、発展可能であれば、新シリーズ「geography」(何のひねりもない、そのまんまのタイトルだけど)…

●銀座のGALLERY TERASHITAで長橋秀樹+堀由樹子展。いま気づいたけど、二人共名前に「樹」がつく。 堀さんの作品は、色彩、絵の具の練り、ストローク、形態のどれもが手癖に流れているような傾向があり、それによって精度が甘くなっている作品がある一方で、…

●新宿御苑で、祝・保坂さん作家生活20年、HP開設10年、がぶんさん還暦、磯崎さん芥川賞受賞の会。昼間から大勢で外で飲み食いする。三十人以上の人があつまり、入場料が団体割引で五十円安くなった。雨は降らなかった。 ●今日、印象にのこった話のメモ。…

●磯崎憲一郎による「アウトサイドレビュー/平成二十二年大相撲五月場所、八日目」(「文學界」七月号)。磯崎さんにとって書くこととは、生身の磯崎憲一郎が、書く人としての磯崎憲一郎に(あるいは磯崎憲一郎というスタイルに)ひたすら呑み込まれてゆくという…

●六月にはいって天気がすばらしくてテンションが上がりすぎて、少し疲れた。昨日、今日とだらだら寝て過ごす。いくらでも眠れてしまう時は体に任せて寝貯めをする。今日の晴れは本格的に夏みたいな感じで、六月のはじめ頃は外を歩いていると、水が温んだとい…

●昨日お会いした時に利部志穂さんが、台北でやったパフォーマンスをYouTubeにアップしたので観て下さいと言っていて、検索してそれをみつけた(http://www.youtube.com/watch?v=2QgG2yxHesw)。赤ずきんちゃんみたいな衣装が意味不明なところまで含めて、利部…

●午前中。読む、読む、読む、ちょっとだけ書く。洗濯する。 午後。風呂に入る。湯船につかりながら高橋悠治の「ゴクトベルク変奏曲」。ツタヤにDVDを返却に行く。 出かける。神保町の文房堂ギャラリー「アウトレンジ2010」(http://www.bumpodo.co.jp/gallery…

●論理的で明晰な思考というのはいわば、木々をなぎ倒し、土を掘り返して、ジャングルの真ん中にまっすぐな道路をつくるようなものだ。人類はそのようにして活動出来る範囲を押し広げてきたのだし、それによって、誰でもが等しくそこを通れるようになり、その…

●人を説得する方法には大ざっぱに二つの方向性があって、物語と論理ということになろう。物語による説得は多分に情緒的で直感的であり、ゆえに誤魔化しや誤謬が混じりやすい。無批判に一方方向に雪崩をうって流れがちだということもある。後になって冷静に考…

●ぼくは昨日の日記で、セザンヌをアラカワみたいだと書き、アラカワをセザンヌみたいだと書いた。あるいは、最初の本でぼくは、マティスと横尾忠則との共通性について書いた。もし、学生時代の自分がそれらを読んだら、きっと、「こいつバカなんじゃねえの」…

●セザンヌの画集と、養老天命反転地の写真集を交互に観ているとすごく興奮する。オルセー美術館展でセザンヌの「ギュスターヴ・ジェフロワ」を観た時、「これはまるでアラカワじゃん」と思った。そして、養老天命反転地の写真や設計のためのCGを観ると、「こ…

●天気予報では夕方からすこし天気が崩れると言っていて、でも午前中はまだ「この天気」が持続するみたいなので、また朝方からふらふら出かける。わりと近くに多摩御陵という大正天皇や昭和天皇の墓地があって、その参道の欅並木がすごいのでたまに見に行く。…

●お知らせ。東京新聞の明日(4日)の夕刊に、水道橋にあるアップフィールドギャラリー(http://www.upfield-gallery.jp/)でやっている「ながめる まなざす」展のDIVISION-2で展示される山方伸さんの作品について書いた記事が掲載されるはずです。山方さんと村越…

●すばらしい天気。五月が終わって、ようやく五月の陽気と光がやってきた。こういう日が毎日のようにつづけば、ぼくはもっともっと良い画家になれるはずなのだが。しかし、こんな日は年に何日もないのだ。光の新鮮な午前中と、暖色が強くなりはじめた夕方、二…

●今日の日記は、昨日書いたことの言い換えでしかないかも。 ●昨日観た『しゃぼんのころ』(マームとジプシー)では、同一の場面が何度も反復されていた。その時、反復の度に視点がかわる。これがもし映画だったら、カメラの位置を向こう側へ、あるいは横の方へ…