2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

●DVDを返却するためだけに新宿まで行く。新宿がずいぶん遠くなった。とはいえ、わざわざ遠出したからといって何をするのでもない。DVDを返して延滞料を支払い、紀伊国屋書店をのぞいて、駅周辺をすこしぶらぶら歩いて、また長い時間電車にのって、帰ってくる…

●昨日書いたレヴィ=ストロースの神話に関する変換式。 fx(a):fy(b)≃fx(b):fa⁻¹(y) これは要するに次のようなことだとぼくは理解した。同型記号の左側の式が、通常の(あるいは元になる)状態を表わしている。そこから、媒介者となる要素(b)が機能fyの位置から…

●お知らせ。9月1日に、尾道にある「なかた美術館」でレクチャーをします。 http://nakata-museum.jp/exhibition/ ●もう一つお知らせ。8月31日(金)の東京新聞、夕刊に、ギャラリーαMの浅見貴子展についての評が載る予定です。 ●中沢新一の『野生の科学』を読…

●「建築と日常」の別冊「窓の観察」に載っている「見えない」(柴崎友香)を読んだ。 http://kentikutonitijou.web.fc2.com/mado.html ●これは、作者名が書かれてなかったら柴崎友香の小説とは思わなかったかもしれないという妙な感じ。いや、書かれているこ…

●『果てなき路』(モンテ・ヘルマン)をDVDで。これは面白い。二回つづけて観た。「すげえ」と前のめりになる感じではなく、穏やかにじわじわ面白い。そのじわじわが広がってすごいことになる。たくらみに満ちていて、しかし柔軟で瑞々しく、そして余裕がある…

●直感的に分かるということと、操作的に分かるということはどう違うのだろうか。例えば、操作的に分かるというのは「英語が喋れる」というようなことではないか。それは、英語という言語の体系のなかに入り込めるということであり、その体系の内部で、会話を…

●「与えられた形象」(国立新美術館)についてもうちょっと。 ●グリッドというのは形象ではなくて、形象を可能にする容器であり、空間(座標)そのもののことで、だから「与えられた形象」というタイトルは本当は間違っていて、「与えられた座標(に対してどう働…

●辰野登恵子の作品は、グリッドそのもの(グリッドの歪みや瓦解そのもの)をモチーフにしているように思われる。それは、対象ではなく空間こそがモチーフであるということだ。これは初期作品から現在まで一貫しているように思う。その点では、たとえば八十年前…

●辰野登恵子にとっては、あの過剰なボリュームこそがアンフラマンスなのではないか。

●六本木の国立新美術館で「与えられた形象(辰野登恵子・柴田敏雄)」。柴田敏雄という作家のことを知らなかったので、何で「二人展」なのだろうと思っていたのだけど、会場に行って作品を観たら、二人の作品がシンクロし過ぎていて、一緒に展示してあると相互…

●昨日は夜中遅くなってから『デジャヴ』(トニー・スコット)をDVDで観ていた。トニー・スコットに思い入れはないし特に好きな監督でもないけど、『デジャヴ』はすごいと思う(トニー・スコットといってまず『デジャヴ』が出てくることからしてファンではないこ…

●昨日の日記で最後に触れたドイッチュの「計算不能」についての話(『世界の究極理論は存在するか』6章より)は、排他性の排除が、かならずしも「答えがない」、「答えが曖昧である」という形をとるわけではないことを示している。「答えは明確に(排他的に)あ…

●「正しさ」というものに対する疑問がどうしてもある。正確には、「正しさ」のもつ排他性への疑問と言うべきか。正しさを根拠とした抗争、あるいは、正しい段取りによって保障されたものでなければ認められない、という空気が、どれだけ人を「嫌な抑圧」に向…

●馬喰町のギャラリーαMで、浅見貴子展。 http://www.musabi.ac.jp/gallery/2012-4.html そして、企画者の保坂健二郎と浅見貴子の対談。対談はUST録画あり。 http://www.ustream.tv/channel/gallery-%CE%B1m-%E7%B5%B5%E7%94%BB-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%92%…

●小説を書くようになってから(「書くようになって」などとエラそうに言えるほど書けてはいないのだが)、面白い夢や印象的な夢、濃い夢を見ることがぐっと少なくなった気がする。書くことで、夢を見ることへの欲望がかなり解消されてしまっているのかもしれな…

●比喩と、具体性と、一般性(抽象性・普遍性)とを、すべて連続的なものとして考えることはできないだろうか。 ●たとえばもし、比喩が十分な精度と密度とをもつならば、その時それは具体性と見分けがつくのだろうか。 ●比喩とは、あるものとあるものとの関係が…

●昨日、今日と小説の推敲。カットの(シーンの、ではない)順番を入れ替えたり、このカットの切れるところ三コマ短くして、そこに別のあのカットのアタマを短く挿入するとどうか、みたいな、編集の詰めみたいにことを延々やっていた。 ●幾何学的な均衡と構造…

●富士山がやけに近く見えた。 ●一昨日の日記に書いたドイッチュの本はあれから進んでいない(4章まで)のだが、先を急ぐより、ドイッチュの科学についての(というより「実在」についての、と言うべきか)考え方をもうちょっとちゃんと押さえておきたい。 《自然…

●お盆で、妹、弟夫婦、いとこ等と実家に集まる。弟夫婦の子供は、会うたびに同じ人とは思えない感じで全然違った形に育っている。つい三か月くらい前の初節句の時と、もう「違う段階」になっている(完全に「意思をもって行動するなにものか」になっていた)…

●デイヴィッド・ドイッチュという物理学者(「量子計算理論のパイオニア」であるらしい)の『世界の究極理論は存在するか』(原題は「THE FABRIC OF REALITY」)という本を読んでいる。まだ読み始めたばかり(4章まで)だけど、この人の「科学」に対する考えが面白…

●用を済ませてトイレのドアを開くとセミの声が耳に刺さり、それは部屋のなかとしか思えない近い位置から聞こえている。手を伸ばせば届きそうだという位置であるように感じる。セミが部屋に入り込んだのだろうか。だけど、首を左右に振り、耳を澄ませて位置を…

●渋谷のアップリンクで『この空の花』(大林宣彦)。すごいすごいという評判を聞いていて、どんなにすごいのかと思っていたが、やはりすごかった。ただこの「すごさ」に対して、微妙な感じをもちはするのだけど。 ●どんな席でも、俺が俺がと前に出て喋りたがる…

●七月に撮った写真。その二。サイズを少しだけおおきくしてみた。

●七月に撮った写真。その一。

●ツイッタ―で丹生谷貴志さんがアールブリュットの「単調さ」について書いていることがとても興味深い。興味深いけど、ぼくはちょっと違う感じをもっている。この「違う感じ」について、丹生谷さんが書いたものの力を借りて少し考えてみたい。 ●≪いわゆるアー…

●昨日書いた『ぼくらは都市を愛していた』(神林長平)についての感想を、もうちょっと補足する。ネタバレあり。 ●提出された問題と解答がズレているということについて。 この小説の中心にある弟と姉という二つの裏表世界の展開で問題にされているのは、一方…

●『野生の科学』(中沢新一)と『レヴィ=ストロース まなざしの構造主義』(出口顯)を並行して読み始める。ふと思ったのだが、中沢新一の言う「野生化」と西川アサキの言う「退化(初期化)」は、ほとんど同じようなことなのではないか。 ●『ぼくらは都市を愛して…

●一昨日からのつづき。西川アサキ「形から逃げ出す生命、ガタリの夢、自身の死を悼むシステム」(「現代思想」8月号)について。 ●このテキストはまず、『魂と体、脳』での西川さんの「心身問題」についての「中枢が生成するモデル」が、ルーマンを媒介するこ…

●昨日からのつづき。西川アサキ「形から逃げ出す生命、ガタリの夢、自身の死を悼むシステム」(「現代思想」8月号)について。 ●ぼくは、西川さんのテキストから読み取れること以外はルーマンについて何も知らないのだが、このテキストはルーマンが起点となっ…

●西川アサキ「形から逃げ出す生命、ガタリの夢、自身の死を悼むシステム」(「現代思想」8月号)を興奮しながら読んだ。エスキース的にサクサクッと書いてあるけど、細部を詰めてゆけばこれだけで充分一冊の本になるんじゃないかというくらい様々な示唆に富ん…