2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

●社会の状況を反映している作品といわれるものは、往々にして、社会を見ている時の(特定の視点としての)「わたしの気分」を反映しているに過ぎないが、その気分が多くの(多様な、というより、同様の傾向をもつ)人々に共有されていれば、それは「リアル」とい…

●下にリンクするブログの「ロードマップ指向とエコシステム思考」という記事を読んでいて、昨日の筒井宏樹×組立《オルタナティブ・アート・セオリーに向けて》で語られていた、「いまやすべてがオルタナティブとなってしまっていて、センターが存在せず、例…

●吉祥寺のA-thingsで岡粼展、二度目。その後、渋谷の桑沢デザイン研究所で、筒井宏樹×組立《オルタナティブ・アート・セオリーに向けて》。これは遅れてしまって途中から。 ●おかざき乾じろの作品は、彫刻を基底材とした絵画、ととりあえず見ることができる…

●例えば、「犬も歩けば棒に当たる」ということわざの妥当性を判断する時、二つの問題があるように思う。一つは、(「図」として把握しにくい)「棒に当たらなかった」ケースの印象は残りにくく、「棒に当たった」記憶(図)の方を強く意識するので、実際に棒に当…

●吉祥寺のA-thingsで、岡粼乾二郎「B-things and C-things at A-things」(おかざき乾じろ「ポンチ絵」展と言った方がいいのか)。これはびっくりした。正直言えば、岡粼乾二郎を本当にすごいと思ったのはけっこう久しぶりのことなのだが、これは本当にすごい…

●横浜美術館に百瀬文「サンプルボイス」を観に行く(二度目)。「The Recording」を三回繰り返して観たらさすがにちょっと飽きてきたけど、でも、これはやはりかなり面白い。 ●「The Recording」には三つの層がある。(1)声=言葉=テキスト(2)実写映像フレーム(3…

●国立近代美術館で「泥とジェリー」展。着いたのが閉館まで一時間を切っていた時刻だったので、工藤展もコレクション展もスルーして「泥とジェリー」を観る時間しかなかった。 2000年代はじめくらいの時期の岡粼乾二郎の作品は圧倒的にすごいということを改…

●メガネをかけると世界がくっきり見えるけど視野が狭くなる。メガネを外すと広がりをぐっと感じられるけど、世界が軽くぼんやりする。 ●『スペース☆ダンディ』。12話目にして、はじめてちょっとだけ面白かった。ちょっとうれしい。ただ、もう一ひねりくらい…

●YouTubeに、AOKItakamasaがゲスト出演している細野晴臣のラジオ番組の録音がアップされていて、それを聞いていた(AOKItakamasaはけっこう好きなので)のだけど、「スーパーストリングス」という曲がかかった後、細野晴臣が、「これ、ひょっとして超ひも理論…

●ETV特集「よみがえる色彩 激動の20世紀アーカイブ映像の可能性」というテレビ番組を観た。なにかヤバい、見てはいけないものを見てしまったという感じがする。過去を冒涜するかのような鮮やかさというか、現前の暴力というものの(あまりに魅惑的な)力を見せ…

●ずっと、なにかを忘れている気がする、21日という日付になにか気に留めていたことがらがあったはずだと思いながら思い出せないまま一日を過ごして、そうだ、横浜美術館で百瀬文の「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」の上映がある日だったと、と、…

●事故は、いつ、どこに(誰のもとに)現れるかわからない。それは確率的なものであって、たまたま誰かのもとに出現する。それが確率的なものであるとすれば、たまたま事故を起こしてしまった誰かに責任を負わせることは本来ならできないはずだ。たとえその誰か…

●『BEATLESS』(長谷敏司)、最後まで読んだ。正直、前半はちょっと退屈だったのだけど、後半になって前半の退屈さが効いてくる展開になった。長い小説を読むというのはこういうことでもあるのだな、と。 小説としては苦手な感じではあるけど(通して読むのはち…

●例えば、昔、人間になった猿とならなかった猿との違いは好奇心にあるみたいなことを言う人がいたけど、今ではそれは間違いと言われていて、進化はたんに突然変異と自然選択の結果で、突然変異した個体の変異がたまたま環境に適合的であった場合に生き残る確…

●本は、読んだからといって書かれていることすべてを理解できるわけではないし、仮に、理解できたとして、そのすべてを憶えておけるわけではないし、「理解できた」時と同じ精度で再現できるとも限らない。 (自分で考えたことであっても、その「考え」のすべ…

●国立新美術館でやっている「イメージの力」展に関連するシンポジウムで「アートと人類学:いまアートの普遍性を問う」というのをやるみたいで、そのモデレーターが『現実批判の人類学』の編者の春日春樹で、発表者のなかにはその本に「世界を制作=認識する…

●いまさらながら『アバター』をブルーレイで観たのだけど、これは(もう既に散々言われたことかもしれないけど)「ゴッホが油絵具で模写した浮世絵」みたいな感じで、ハリウッドのVFX技術によって模写された日本アニメと言うべき映画だった。この二つは、(1)あ…

●『BEATLESS』の最初の方だけを少し読んだのだけど、それで、昨日、人とした話を少し思い出した。例えば、今、初音ミクがすごく流行っているけど、もし、アメリカなどから、リアルな3Dのビジュアルと圧倒的な歌唱力をもったボカロが出てきたとしたら多くの人…

●科学者でも技術者でもないぼくにとっての科学や技術への関心はおそらく、科学や技術そのものにあるというより(いや、「そのもの」にも強く関心はあるのだけど)、それによって人の生の感触(主体の構成、他者と関係、欲望や快楽、苦痛の形式、そして世界観)が…

●科学に関する一般書や啓蒙書など、いくら読んでも本当に重要なことまでは分かりはしないし、自分が分かることの範囲内で分かった気になっているだけで(一番「美味しいところ」はちゃんと勉強しないとおそらく分からないのだ)、中途半端な耳年増みたいになっ…

●『3人のアンヌ』(ホン・サンス)をDVDで。 ホン・サンス映画は、パリを舞台にした『アバンチュールはパリで』でもほとんど韓国の人しか出てこないし、『浜辺の女』の主人公の映画監督(男)は、韓国女性が外国の男性と付き合うことに対する強い感情的抵抗があ…

●三月も半ばなのにまだこんなに寒いのか、ではなく、体感的には、三月の半ばになってこの冬一番の寒さがやって来た、というレベルの寒さ。 ●いくつか展示を観て、その後、アートトレイスで松浦寿夫連続レクチャーへ。 横浜美術館の百瀬文展「サンプルボイス…

●お知らせ。富士ゼロックスの広報誌「グラフィケーション」三月号(特集・写真と出会う)に、「見ることの速さと遅さ―描くことと撮ること」というテキストと、一点だけですが写真が掲載されています。撮った写真が紙に印刷されるのははじめてですが、印刷され…

●東京造形大学CS-Labへ「組立-転回」を観に行く。以下、感覚的、印象的な一言コメント的なものでしかないけど。ちょっと辛口方向で。 http://kumitate.org/ 永瀬恭一さんの今回の作品は、ちょっと反動的にきれいすぎるのではないかと感じた。永瀬さん風に言…

●ニコニコ動画にあった長谷敏司と藤田直哉のトークイベントの動画を観ていたのだけど、ちょっとおこがましい言い方かもしれないが、ここでの長谷敏司の発言はびっくりするくらい今考えていることと近い感じで、びっくりした。考えが近いというより(感覚的に…

●なんとなく「スコラ」を観ていたら(浄瑠璃かっこよかった)、番組が終わった後に別の番組の予告になって、吉岡徳仁と久石譲との対談番組の予告で、そこで久石譲が「感覚って信じてますか、ぼくまったく信じてないんだ」と言い切っていて、そうか、感覚なんて…

●『風にそよぐ草』(アラン・レネ)をDVDで。なんかリヴェットが撮る映画みたいな話だな、と思った。 晩年のレネは、これ以外では『恋するシャンソン』と『六つの心』しか観ていないけど、なんというか、ぼくにはあまり面白いと思えない(とても中途半端にみえ…

●『My Humanity』(長谷敏司)、最後まで読んだ。四つの短編すべてでナノロボットが重要な技術的前提となっていた。ITPも霧状コンピュータも、ナノロボットの技術的展望が無ければ荒唐無稽な空想でしかないが、ナノ技術によって「あり得るかも」というリアリテ…

●地形というのは空間のネットワーク構造であり、例えば、ぼくが家から駅まで行くとする時、その目的を達し得る可能な経路の集合と、その移動の間に通りぬける複数の出来事(坂を登る、道路や橋を渡る、地下に潜る等々、そして、歩く、バスに乗る、自転車に乗…

●二月に撮った写真。その一。 この二月は、天気があまり良くなかったことと、ちょっと(ほんのちょっとだけ)忙しくて、あまり外をプラプラ歩いたりできなかったので、あまり写真が撮れなかった。