2006-01-01から1年間の記事一覧

●府中市美術館で、松浦寿夫の公開制作「林と森---筆触の論理学」を観てから、吉祥寺のA-thingsで、柴田健治展を観て、バウスシアターでソクーロフ『太陽』を観た。 ●府中市美術館では、松浦氏の作品が二点(+小品一点)展示されていて、制作しているところの…

●たんに冗長でしかないお喋りが、脈略なくだらだらとつづいているだけのように思えたのだが、そのお喋りのなかの何気ないある部分が、不意に別のある部分と関係があることが発見され、そのことによって、そのお喋り全体の意味がまったく違ってみえてくる。た…

●『ひぐらしのなく頃に』(弐)をDVDで。これは、アニメーション作品として質が低いためなのか、もともとそういうものなのかは分らないが、あまりに単純な世界観と、あまりに貧しい細部が、かえって、この作品独自の嫌な感じをきわだたせているのかもしれない。…

●夢の話。何故か梱包用の布テープを持ち、そのテープの端を右手の人差し指に巻き付けて、ぼくは、月の上をピョンピョンと飛び跳ねるようなやけに軽やかな小走りで、中学校の中庭に潜入する。中庭には、二つの向かい合う校舎を結び、もっと先にある木造校舎の…

●『復讐・消えない傷痕』(黒沢清)を久々にビデオで観た。黒沢清の全作品のなかでも特権的な、掛け値なしの傑作だと思う。つくった監督自身が何と言おうと、これは明らかにこの時期の黒沢監督の「自画像」であり、この時期に置かれていた状況に根拠をもつと思…

●アパートの部屋を出るとすぐ三叉路で、真ん中の道と右側の道とが駅へとつづいている。ぼくはたいてい軽く下っている右側の道を行く。(真ん中の道は軽く昇ってから、急に下る。)その道は、またすぐに二手に分かれていて、左に行くと近道で、右はまわり道にな…

シネセゾン渋谷で『パビリオン山椒魚』(冨永昌敬)

●シネセゾン渋谷で『パビリオン山椒魚』。いままで観た冨永昌敬の映画と比べると「冴えない」という感じ。オダギリジョーのキャラクターに頼り過ぎというのか、オダギリジョーが前に出過ぎるのを抑えられなかったという方が正確なのか。この映画はおそらく(…

●引用。メモ。ジジェク『斜めから見る』、第七章「イデオロギー的サントーム」より。ジジェクの言う「行為(行為への移行)」の意味。似たようなことは『汝の症候を楽しめ』などにも書かれているのだが、こちらの方が説得力がある。 《これはまた「エスのあっ…

小林正人「絵画の子」(1992年)

●13日に観た小林正人の「絵画の子」(1992年)は、画家の手によって時間をかけて制作されたものではなく、あたかも、ある光の状態が一瞬にしてフリーズされ、全ての要素が同時に成立しかたのように見える。ここでは、キャンバスの地の白と、そこに不均一に散ら…

『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平)

●『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平)をはじめて読んだ。郊外の高校生活がいきなり「世界の危機」とか「最後の審判」とか「宇宙人」とか「謎の機関」などとつながってしまう(この手の小説にありがちな)突飛な設定を受け入れられるとしたらという条件つき…

『ホワット・ライズ・ビニース』『ソドムの市』『LOFT』

●『LOFT』(黒沢清)を観たことで改めて観直したくなった二本の映画をDVDで観た。ネタ元であるゼメキスの『ホワット・ライズ・ビニース』と、高橋洋の『ソドムの市』。『ホワット・ライズ・ビニース』は普通に良く出来たサスペンスだと思うけど、もし『LOFT』…

小林正人初期作品1982-1992

●清澄のSHUGOARTS(http://www.shugoarts.com/jp/index.html)で、「小林正人初期作品1982-1992」を観た。小林正人のこの頃の作品は、難しい理屈を言う前に、ごく普通の絵として、今改めて観ても、普通に凄く良い。普通の絵というのは、キャンバスというフレー…

クローネンバーグ『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(と『LOFT』)

●クローネンバーグ『ヒストリー・オブ・バイオレンス』をDVDで観た。渋い。クローネンバーグは地味になればなる程凄みが増してくるように思う。『ビデオドローム』などで評判になっていた頃には、こういう作家になるとは思ってもみなかった。地味な描写を丹…

黒沢清『LOFT』(1)

●テアトル新宿で黒沢清『LOFT』。黒沢清の新作を観るのはとても怖かった。ぼくは二十年来の「黒沢信者」なのだけど、前作の『ドッペゲンガー』を観た時、黒沢映画を観てはじめて「つまらない」と感じてしまった。その後ぼくは『ドッペルゲンガー』をビデオを…

●夢のなかで目覚めたら、そこは、今はもうない古い実家の建物の祖父母が寝起きしていた部屋で、縁側のあるその部屋の戸が全開になっていて、庭の様子が目に入って来た。庭には木々が生い茂り、生々しくむせ返るほどの緑で、まるで山の奥深くが庭の空間にふい…

「わたしの場所の複数」(岡田利規)

●「新潮」10月号に載っていた「わたしの場所の複数」(岡田利規)はとても面白かった。出だしの部分は、この「なんちゃって金井美恵子」みたいな作風はどうなんだろう、と、疑問を感じつつ読んでいたのだが、読み進むにつれて次第にその否定的な印象は修正され…

山の神

●どうでもいい話。奥田瑛二が映画をつくって、それがどこかの映画祭でグランプリになったという話題を、朝のワイドショーが報じていた。その映画は奥田氏の家族ぐるみでつくったものらしく、脚本も、家族で共同で書かれたそうだ。で、脚本家のクレジットは「…

●テレビに楳図かずおが出ているのを観た。楳図氏は、子供の頃、読んだマンガに影響されて海賊になりたかったのだが、船酔いをする体質であることが分ったために、すぐにそれをあきらめざるをえなかった、と話していた。で、トレードマークとも言えるあの赤と…

『strawberry shortcakes』(魚喃キリコ)

●『strawberry shortcakes』(魚喃キリコ)を読んでいた。ぼくは様式的な絵が駄目で、例えば、丸尾末広とか、摩耶峰雄とか、藤原カムイとか、松本大洋とか(例として上げる作家が今時風ではなくて微妙に古い気もするけど)は「絵」を観ただけで受け付けられない…

スピルバーグの『ミュンヘン』をDVDで

●スピルバーグの『ミュンヘン』をDVDで観た。歴史という点から見れば『シンドラーのリスト』と対になっているし、現代(政治)という点から見れば『宇宙戦争』と対になっている。内容から考えると不謹慎かも知れないけど、映画として普通に面白く観られる。そ…

●遠くまで見渡せること。市役所の近くの、二本の川が合流する地点は、河原も広くとられていて、長い橋がかかっている。市役所側の河原は整備されていて、ジョギングしている人もいれば、凧を揚げている人もいるし、犬がはしったりもしている。(おっさんが、…

●午前中、制作。午後は散歩。最近つくった小品の(ピンボケぎみの)写真(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/himawari.2.html)を何点かアップします。これらの作品は、前にも書いたけど、駅前のスーパーの裏にある畑のヒマワリを描いたものです。正確に…

06/09/02(土) ●引用。メモ。岡崎乾二郎「批評の窮状」(「InterCommunication」No.58)より。 ●表象システムと、生産過程 《表象することは、さまざまにありうる生産過程を無視し、すべてを結果(生産)としてのみ取り扱い、一元的な表象論理で写像として写しと…

●「InterCommunication」(No.58)の冒頭の二つの対談(浅田彰+岡崎乾二郎・東浩紀+稲葉振一郎)は、全く逆の方向を向いているようでもあり、同じ場面の裏表について語られているようでもある。共に、近代的な規律・訓練による統制が崩れて、環境そのものを操…

●朝早く起きて、六時過ぎから、午前中いっぱい、たっぷりと制作する。昼過ぎに、近所のツタヤに借りていたDVDを返しに行き、そのまま散歩する。今日はとても日差しが強くて暑いけど、蒸し蒸しした感じはなく、風が吹くと涼しい。散歩に疲れると、冷房の効い…

●作中人物は、あくまで作品内部で存在するものだが、ギャラクターは作品から切り離されても存在する。例えば、A.A.ミルンの書く、くまプーは、『くまのプーさん』や『プー横町にたった家』のなかの作中人物(動物)であり、その作品世界とともに(同時に)たちあ…

●まだ実物を確認してはいないけど、8月20日に出た「ホームシアターファイル」という雑誌に、(DVDが出たのにあわせて)ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』についての短いレビューを書いています。「映画芸術」に書いたのとは、少し違った視点から書い…

●午前中から昼過ぎくらいまで制作。新しいことの滑り出しとしては、まあ、いい感じ。午後から、制作で過剰に酷使した頭をクールダウンさせるために、二時間くらいかけてゆっくりと散歩する(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/sanpo.html)。それほど暑…

●タブローで、今までつくったことのないくらいの小さいサイズの作品をつくろうと思って、画材屋に行って、いろいろ買い物をする。少し前に、ゆーじん画廊で観た岡崎乾二郎展で面白かったのはなんといっても小品で(それも、特にそのなかの一点で)、それはぼく…

●久しぶりに「批評空間」の「モダニズムのハードコア」をパラパラと見ていたら、岡崎乾二郎が、もう、悟性で押せるだけ押すしかない、というようなことを言っていた。《ティツィアーノやプッサンの絵の豊かさに比べとき現代美術がいかにも貧弱に見える》のは…