2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

08/03/31

●大学卒業して四月から社会人で、これからの人生、不安もあるけど前向きに、みたいなブログを読んで、自分にはそういうことが一度もなかったということを、改めて思った。大学の卒業の日は、ぼくが今まで生きてきたなかで最も落ち込んでいた日のうちの一日で…

08/03/30

●作品について何か書く時、後ろめたさと恥ずかしさが伴う。書いていることが、その作品の一部にでも擦っていれば上出来で、しばしば空振りだったり、あるいはたんに自分の関心を書いているだけだったりする。「なんとか論」とかを必死で書いて、それなりに書…

08/03/29

●『電脳コイル』18話~20話をDVDで。このアニメを子供の時に見ていたら、それこそ向こう側に持っていかれて戻ってこれなくなってしまったかもしれない。さすがに今では、すれっからしなので、ある程度距離を置いていろいろ分析的に観てしまったりするのだけ…

08/03/28

●近所の川縁の桜並木はまだ満開ではなく、木によってばらつきがあるけど、六分から八分くらいの咲きだった。桜は、全体を引いて眺めるよりも、木の下に入って見上げて、空を背景に眺めた方がより一層異様な感じが増して、しかも、晴れた青い空よりも、今日の…

08/03/27

●「わたしの場所の複数」(岡田利規)を、かなり時間をかけでじっくり読み返した。ところで、何日か前、岡田利規と柴崎友香とが同じ年(73年)に生まれたと聞かされて、へえ、と思った(あと、舞城王太郎も)。その言葉にひっぱられたわけではないが、「わたしの場…

08/03/26

●「主題歌」(柴崎友香)は、女子好きの女性たちが女の子限定カフェをする話で、ぼくのようなおっさんの入り込む余地がないようにも感じられるのだけど、読んでみると意外にも男性の存在をかなり濃く感じる。この小説の主な男性の登場人物は、主人公の実加と同…

08/03/25

●新宿のコニカミノルタプラザ、ギャラリーBで。大谷佳展「concrete ph」(31日まで)。モノクロプリントの黒い調子はそれ自体でうつくしく、それは版画のインクの黒を思わせる物質的な手触りをもつ。この美の感触が、写真という装置が写しとってしまう世界の圧…

08/03/24

●昨日の日記に書いた福居伸宏の写真がデジカメで撮られているのかどうかは知らないけど、そこで見られるのはデジタルなテクノロジーの存在によってはじめて可能になったような視覚像だと思われる。(現像液のようなケミカルな液体を通していない、乾いた感触…

08/03/23

●昨日観た、TKG Contemporaryでの福居伸宏展「ジャクスタポジション」について。眼が強制的に開かされて、そこに像が貼り付いてくるような経験がある。人は普段、風景を観る時、それを空間的に把握しているが、視覚像そのものは空間的なものではない。つまり…

08/03/22

(この日記、書き直しました。すげえバカみたいな間違いをしていたことに気づいた。シェルカウイとジャレを間違ってた。自分の眼が信用できない。)●西巣鴨の、にしすがも創造舎で「スリー・スペルズ」(ジャレ+シェルカウイ+ジルベール+フェネス)、清澄白河…

08/03/21

●代々木のギャラリー千空間での、堀由樹子展「道草」について。(四月八日まで。水、木曜休み。)●多分、この展覧会は「happen」という作品を観るためのものとなる。その隣りにあったもう一点の大作(「海へと続く道」)は、あまり上手くいっていないように思え…

08/03/20

●新百合ケ丘のテアトロ・ジーリオ・ショウワで「パレルモ、パレルモ」(ピナ・パウシュ ヴッパタール舞踏団)、代々木のギャラリー千空間で、堀由樹子展「道草」。●「パレルモ、パレルモ」はすごかった。もっていかれた。すごかったけど、そのすごさの内実の多…

08/03/19

●昨日と一昨日の二日で、約55枚の原稿の直しと、約11枚の原稿を書いて、その前の日は不安と緊張の座談会で、テンションの高い日が三日つづいたので、今日はまる一日ひたすらぼけっとしていた。「3の倍数と3のつく数字のときにアホになります」(世界のナベア…

08/03/18

●昨日の夜中から朝までかかって原稿の直しをして、朝から昼前までちょっと寝て、起きてからそれをもう一度読み直し、細かい部分をさらに直して、昼頃に原稿をメールで送り、その勢いで、いくつかのメールの返事を書き、昼過ぎから、用事半分、散歩半分で出掛…

08/03/17

●来月発売される文芸誌に載る予定の原稿の改稿をずっとやっていた。昼間は喫茶店で、いったん部屋に戻って、頭を切り替えるために散歩に行って、帰ってからまた少しやって、夕方から酒呑んでちょっと眠って、夜中に起きて、また朝までやるつもり。●『主題歌…

08/03/16

●今日は、ぼくとほぼ同世代の人気有名アーティストと、ベテランというか、日本美術史上には必ず名前がみられるだろう大御所のアーティスト二名と、ぼくの四人という、どう考えてもぼくだけ「格」として釣り合わない、不思議な取り合わせの座談会に出席してき…

08/03/15

●もうちょっと『フリータイム』(チェルフィッチュ)。岡田利規の作品では、語られるエピソード、語られる人物が、それを語り、演じる俳優から切り離されている。誰かの役を誰かが演じるというよりも、あるエピソード、ある人物を、みんなでリレーして、順々に…

08/03/14

●『フリータイム』(チェルフィッチュ)つづき。●昨日の話のつづきで、「こんなに大きいスイカがあった」として実物のスイカを示すとしても、「こんなに大きい」と驚いたそのスイカは既に食べてしまったからなくて、その替わりに同じくらいの大きさの別のスイ…

08/03/13

●晴れているのに、空も地上も霞んでいた。●チェルフィッチュ『フリータイム』について、ちょっと。最近は、ぼくのパフォーマンスアレルギーもだいぶ後退して、演劇とかダンスとかも観るようにはなったのだけど、それでもまだ、生身の人が、リアルタイムで、…

08/03/12

●六本木のスーパーデラックスでチェルフィッチュの『フリータイム』を観る。とりあえず今日は、これがすごく面白かったということだけを記しておきたい。ぼくは今まで、岡田利規のつくった舞台を、映像では『三月の5日間』『目的地』、ナマでは、『エンジョ…

08/03/11

●買物のために部屋を出たら、あまりに暖かくて天気がよいので気持ちよくなって、花粉の脅威など忘れて、そのまま隣りの駅まで歩いて行き、大型書店をのぞいて、都まんじゅうを買って食べながら歩いて、二時間くらいの道草の末に買物をしてから帰った。案の定…

08/03/10

●昨日の日記で、マティスにおいて、光源が消失することと、明暗法からほぼ完璧に離脱することとの密接な関係について書いたけど、もう一つ、そこには視点の消失ということがあると思う。光源が消失すること、明暗による画面の制御から離れること、視点が消失…

08/03/09

●『マティスとピカソ/二人の芸術家の対話』というDVDをツタヤで借りて来て、呑みながらぼんやり観ていた。まあ、はじめから期待はしていなかったけど、内容的にはみるべきものはほとんどなかった。ただ、面白かったのはピカソの息子の発言で、一般的なイメー…

08/03/08

●ぼくは昨日の日記で、散歩の後、《目は腫れるし、鼻の奥から喉にかけての粘膜がじんじん痛むし、ハナミズは垂れるし》という状態になったことの原因を、何の疑いも躊躇もなく「花粉のせいだ」と判断している。でも、その判断の根拠はと言えば、(天気予報な…

08/03/07

●気軽に散歩に行けない季節になった。早起きして、午前中原稿を書いて、ちょっと昼寝してから、午後、二時間くらい散歩したのだけど、散歩中はそれほどでもなかったものの、帰ってきてから、目は腫れるし、鼻の奥から喉にかけての粘膜がじんじん痛むし、ハナ…

08/03/06

●制作。従来の作品の延長としての制作と、いきなりはじまってしまったマティス風の絵(08/02/19の日記参照)の制作とが、切り離されたまま、並行してつづいている。マティス風の絵の方は、良いのか悪いのか自分でもよく分からなくなってきている。手と頭がバラ…

08/03/05

●昨日書いた、今澤正の作品は、ぼくがこの日記でいつも書いている「絵画」についての考え方とはほとんど一致していない。つまり、ぼくと今澤くんとでは、絵画でやろうとしていることが全然ちがう。(あたりまえだけど。)今澤くんは、わりと忠実なグリーンバー…

08/03/04

●昨日は、京橋のギャラリー・テラシタで、今澤正「New Works」展を観た。(3/29まで、日曜休み。)今澤くんは友人で、友人の作品についてこういう言い方をすると身内誉めっぽくなってしまうのだが、今澤くんは良い画家なのだなあと改めて思った。今澤くんの作…

08/03/03

●おそらく、よしながふみは、革命など絶対に不可能だと思っているのではないだろうか。革命とはいわば鉄道模型やガンプラのような「男の子のおもちゃ」だ、と。その作品の根底に流れているのは、世界に対する(他者に対する、愛に対する)基本的な諦念であり、…

08/03/02

●『フラワー・オブ・ライフ』(よしながふみ)の一巻を読んで思うことは、よしながふみは、きわめて「男性的」な作家であるということだ。ここで、男性的というのは、マッチョだとか、男の子っぽいということとは、とても遠いことだ。例えば、男の子っぽいとい…