2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

●赤信号で立ち止まる。道路に車の姿はまったくない。右を見ても、左を見ても、ずっと先まで車は見えない。それでもそこに立ち止まっているのは、交通規則を守るためではなく、赤信号という言い訳でもなければなかなか、道の途中でぼーっと立ち止まることなど…

●「大事なことは言葉では言えない」という言葉を、ただ「言葉」としてだけみるならば、バカみたいに安直で下らない言葉だと言える。しかし、実際に、大事なことがまったく言葉では伝わらないという場面を経験した者にとっては、その下らない言葉が、言葉とし…

●今はもう建て替えて無くなってしまった実家の、二階にあった自分の部屋で目を覚ますと、ガラス戸を隔てたベランダにたくさんのカラスがうじゃうじゃしていた。大きさがまちまちで、ペリカンや鷲のような大きさをもつものも、普通のカラスくらいのものも、い…

●一年で5月が一番好きなのだが、今年は5月らしい日が一日もなかったように思う。少なくともぼくの住んでいる周囲では。ずっと雨降りの日がつづき、その後も、中途半端に空に薄雲がかかる日がつづいた(夕日を見ようとしたのに、ずっと見られなかった)。よう…

●お知らせ。「國文学」6月臨時増刊号(特集・小説はどこに行くのか2009)に、「部屋と情報と私」というタイトルで、青木淳悟「このあいだ東京でね」論を書いています。約35枚。ぼくはこの文章のなかで、小説中に登場する人物で、忙しい仕事をようやく終え、金…

●カラスは写真を撮られるのがわかるのだろうか。ぼくはカラスがすごく好きで、カラスがいると目が釘付けになってしまう。その黒のうつくしさ。とまっている時のフォルムのシャープさ。飛び立とうとする時の、予想外の羽根の大きさとひろがり。滑空する姿のか…

●散歩していたらティッシュを配っている人がいて、それには新しく出来たネットカフェの割引券がついていた。気になっていた長めの論文をプリントアウトしたいと思っていた(ぼくはプリンターも持っていない)ので、早速行ってみた。そのついでに、(ダイヤル回…

●ロスコ展のことはずっと気になっている。観てきた人からの評判もいろいろ聞いている。会期の終わりも迫ってきている。まあ、ごく普通に、観ておくべき展示なのだと思う。しかし、どうしても気持ちがそちらに向かない。是非、観に行きたいという気持ちになら…

●42歳になった。 ●三鷹市芸術文化センター、星のホールで、サンプル『通過』(作・演出/松井周)。サンプルを観たのは『カロリーの消費』以来で2度目。この作品は、サンプルとしての第一作の再演であるそうだ。 『カロリーの消費』では、作品が戯曲・演技・演…

●髪を切った。もう半年くらいは完全放置状態で、我ながらほんとに酷いことになっていると感じていて、誕生日の前までには絶対切りに行こうと思っていて、今日こそは絶対にと昨日行き損なってからずっと思っていて、なんとかギリギリ間に合った。坊主にしよう…

●ギャラリーαMに展示されている中原浩大の作品は、言ってみればマティスの「赤い部屋」を三次元化したような作品だとも言える。 マティスの「赤い部屋」では、テーブルクロスから壁紙へと繋がる蔦や鉢植えの模様(平面)に、半ば、三次元化した実体をもつもの…

●ブリジストン美術館にはセザンヌの自画像がある(「サントヴィクトワール山」もあるはずなのだが、どこかに貸し出されているためなのか、なかった)。この絵が目の端にでもチラッと映ると、あっ、セザンヌがいる、と思って緊張する。近付いてゆくと、セザンヌ…

●馬喰町のギャラリーαMで中原浩大展。京橋のツァイト・フォト・サロンで金村修展、ブリジストン美術館で、マティスの時代展、南天子画廊で、岡崎乾二郎(常設)展。銀座のなびす画廊で、利部志穂展(二回目)。 ●中原浩大の作品を見るのは随分と久しぶり。展示さ…

●JR中央線の日野駅のホームがとても好きだ。実は、日野駅の改札を出たことは一度もないのだが、中央線の下り電車には、たまに豊田行きというのがあって(豊田に車庫があるせい?)、豊田というのは東京側からみると八王子の一つ手前の駅なので、なぜそこまで行…

●個人的なつまらない話だが、『構造と力』を読んだのは高校一年の時だった。日本の現代文学、大江健三郎や中上健次や金井美恵子や、当時「現代思想」と呼ばれていたようなものなどを読むようになったのも、高校一年の年、1983年だ。しかしその時、同じような…

●学生の時、いくつか学年が上の先輩で、とてもいい作品をつくる人がいて、特に親しいというほどではなかったけど、一定の交流があった。ぼくが卒業して何年かした後の展覧会に、その人が来てくれたことがあり、大して長く話したわけではないが、少し会話を交…

●今日も午前中にがっつり制作。朝起きた時は、頭がリセットされていて、まだ、日常的な用事や雑事、様々な心配事や気がかりなどに頭が染まっていないから、起きてすぐ、食事もせず、コーヒーか野菜ジュースを口にいれただけで制作をはじめるのがいいみたいだ…

●ダンボールにクレヨンで描く絵がとてもいい感じ。それだけでなく、ここ十日くらいで作った作品だけで(8点出来た)充分に個展が出来るくらい充実している。とはいえ、夕日の絵は難航しているのだが。こういう感じは年に一回あればいい方なので、この感じをし…

●四十歳をとうに過ぎて、今月末には四十二歳になるのだが、この年齢になってふと気づくのは、二十歳くらい年下の人に対しても、また逆に年上の人に対しても、ごく自然に「尊敬する」という感情が持てるようになったということだ。若い頃はまだ、先行する世代…

●作品の制作途中というか、作品をつくっている「今ある手触り」を途切れさせたくない時、ずっと、アトリエの灯りをつけっぱなしにする。夜中も、昼間も、そして出かける時も。灯りを消す、という行為によって、持続している何かに区切りをつけたくないのだ。…

●銀座、なびす画廊で、利部志穂展(http://www.nabis-g.com/kikaku/k2009/kagabu-s.html)。ぼくが、今、最も面白いと思う美術家。「面白い」という言葉の意味は、この人の作品のことを指す、とすら思う。とにかく、ものとものとが、普通に考えてちょっとあり…

●柴崎友香「ドリーマーズ」(「群像」6月号)。冒頭の電車の場面が、とばし過ぎで超笑える。港に停泊する船があまりにデカくて驚く。目のなかから出て来るものが気持ち悪くて笑える、そんなの見たことない、等々。 一人称の記述のなかに三人称の気配が混じる…

●昨日の日記を更新した後、テレビをつけてぼんやり観ながら食事をしていた。関根麻理が出ていて、アイスランドを旅行した時の話をしていた。現地の美術館で、ドイツの人でアイスランドに移り住んで何十年というおばさんにたまたま出会って、親しくなり、その…

●ぼくの作品で重要なのは、フレームのなかにブランクがあること。空白、断層、穴、そういうものが画面のなかにあって、滑らかな空間になっていないこと。空間は切断され、あるいは捩じれている。ブランクは余白ではない。余白は、空間的な連続性が確保された…

●朝はやく起きて、午前中いっぱい制作。まあまあの作品が一点できた(F40木製パネル)。昨日、一昨日の作品とあわせてみて、キャンバスや木製パネルにクレヨンで描く線描の仕事があたらしい段階に入ったことを確信する。うれしい。「夕日」シリーズはひきつづ…

●昨日、今日は、雨で、夕日は見られなかったので、「夕日」シリーズではなく「Plants」のシリーズの作品をつくった。キャンバスにクレヨンで描く絵。かなり良い作品が二点できた。F30とF40。うれしい。「夕日」の方は、まだ先が見えず。雨のなかキャンバスを…

●すべての絵画は抽象である。例えば絵画の色彩は、現実の模倣でも、物質としての絵具の色そのものでもない。絵画のなかの林檎が赤いのは、たんに絵画の外の林檎が赤いからというだけではないし、その赤は、たんに絵具の赤によるものではない。絵画のなかの「…

●お知らせ。「群像」6月号に、『神器--軍艦『橿原』殺人事件』(奥泉光)の書評を書いています。 ●朝起きて、思い立って唐突に「夕日」の習作を描きはじめる。とはいえ、ぼくはいきなりキャンバスに直接描くので、「夕日」の連作をはじめた、と言うべきだろう…

●忌野清志郎が亡くなったそうだ。特にファンだったことはないけど、中学生の時、タモリのオールナイトニッポンの時間に行われたRCサクセションのライブは、今でも幸福な記憶として残っている。タモリとRCサクセションとの幸福な出会いという、奇蹟的な出来事…

●磯崎憲一郎「終の住処」(「新潮」6月号)を読んで打ちのめされる。というか、打ちひしがれる。サラリーマンとしても忙しい仕事を抱えているはずの磯崎さんが、何故こんなにも密度の濃い小説を、こんなにも次から次へと書けるのか。磯崎さんによって書かれて…