2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

●横浜のSTスポットでマームとジプシー『しゃぼんのころ』。観劇が二日つづいた勢いで、ごく一部で超話題になっていた、まったく未知の劇団の舞台を観に行ったのだが、これがすっごい当たりだった。最終日で、キャンセル待ちの整理番号11番という、ギリギリの…

●今日は、早めに並んでフランケンズの当日券をなんとかゲットしようと思っていたのだが、昨日提出した原稿のダメ出しが出て、あー、フランケンズは無理か−、とも思ったが、早起きして原稿の直しを必死でやったら、なんとか開演時間には間に合いそうな時間に…

●新百合ヶ丘の川崎アートセンター、アルテリオ小劇場で、FICTION project mtu/watu vol.1『世界のはじまり』。すごい面白かった。この面白さをどう言えばいいのか。例えば、ぼくの座っていた席の後ろにおばさんの二人組の客がいて、劇の最中けっこう頻繁に「…

●ここ二ヶ月くらいかけてずっとやってきた用事に終わりが見えた。完全に終わったわけではないが、あとはたんじゅんな作業で、特に頭を使うこともない。 午前中に用事が一区切りついたので、午後からはずっと原稿。九百字の文章で、何がどれくらい書けるのか…

●テレビを観ていたら、掃除機を擬人化したキャラクターが出てきて、「わたし、大尊寺なつこです」とか言っていた。「NHKなのに、商品名(企業名 ? )言っちゃってるのとほぼ一緒じゃん」と思った。 ●絵画と重力についてもうちょっと。デッサン力という形を正確…

●昨日は、今日から国立新美術館ではじまるオルセー美術館展のプレス向けの内覧会に混ぜてもらっていた。忙しくて出かけている余裕はないのだが、普通に観ようとすれば、激混みのなか、人混みをかき分け、人の頭越しにしか絵が観られないと思われるので、無理…

●チェルフィッチュを観ると、我々が普通に言葉を喋ることが既に演劇なのだということに気づく。つまり、演劇というフィクションは、劇場(舞台)というフレームによって現実と切り離されることで成り立つのではなく、言葉というものが、そもそも演劇が成立する…

●今週は無茶苦茶に忙しい(というか、余裕がない)。こんなに忙しいのは、先週一週間、あまりにだらけて怠惰に過ごしてしまったせいだ。ちょっと余裕がみえると、必要以上に力を抜いてしまうのは困ったことだ。日曜までのフランケンズの公演を観に行くことがで…

●43歳になった。一休さんの例の有名な言葉「正月は冥土の旅の一里塚…」ではないけど、誕生日がくると死を意識する(誕生日はあと何回やって来るのか?)ようになったのはいくつの時からだろうか。41歳の時は、カフカだったらもう死んでるよと言われた。 ●「私」…

●貧乏な上に絵の具とか本とかも買わなきゃいけないので、食事に少ししかお金をかけられない。基本的に外食はしないし(「呑む」時は別)、コンビニ弁当でさえぼくには贅沢品すぎる。そうなると、安くてお腹が一杯になるものを選ぶことになり、食べられるものが…

●祖母のお見舞いのために実家に帰った。祖母は、自分が育った実家の近くが見下ろせる高台にある病院に転院していた。病院に着いて、エレベーターで三階に行くと、遠くに、祖母らしい人が車いすにちょこんと座っているのが見えた。ちょうどこれから、リハビリ…

●テレビが映らなくなったのは壊れたのではく、地デジ対応のためにアパート全体がケーブルテレビに移行したためだったらしくて、自分でテレビのチャンネル設定をやり直したら映るようになった。今まで観られなかったチャンネルもいくつか見られるようになった…

●荒川修作は死なないのだから、別に追悼はしないけど、ここ一ヶ月くらい、毎日のように荒川/ギンズの「REVERSIBLE DESTNY」という画集を眺めていた(ぼくの作品を展示している時に百年で買った)。特に、荒川修作について詰めて考えていたわけではなく、ただぼ…

●いままでのチェルフィッチュでは、俳優は演じ手であると同時に語り手でもあって、つまり、セリフとト書きとが混同されたものが「セリフ」として語られていた。それによって、俳優は役の人物になったり、その外からその人物のことを説明したりと、作中人物に…

●チェルフィッチュの『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』を観に行った。でも、ラフォーレとスパイラルを勘違いしていて、もうちょっとで青山の方へ行ってしまうところだった。出がけに確認して良かった。 ●まず、ちょっと今までとちがうと思っ…

●明日、チェルフィッチュを観に行く予定なので、そのための肩慣らしという意味もあって『フリータイム』のDVDを観た。チェルフィッチュの作品は様々な側面があり、そこから「語り」という側面をみるだけでは充分ではないのだが、とりあえず「語り」という点…

●テレビが映らないので、食事の時に流しておくための映像を探す。映画とかだと集中して観てしまうので、だらっと流しっぱなしにしておけるようなものを探すのだが、なかなかない。ずいぶん前にダビングしたビデオの山のなかから『フィッシング・ウィズ・ジョ…

●いつものように喫茶店にいると、バニラのような、甘くて、しかし落ち着いた感じの、とてもよい匂いがしてきて、あっ、誰かがパイプで刻みタバコを吸っている、と思う。以前、バイトをしていた時に、パイプでタバコを吸う人がいて、それが本当に良い香りなの…

●テレビがまったく映らなくなった。DVDやビデオは観られるけど。 ●ヒッチコックの『めまい』をすごく久しぶりに観た。当然だけど、すっごい面白かった。正直、いまさらヒッチコックを観直してもなあという気持ちがどこかであったのだが、とんだ思い違いだっ…

●一つの例のように挙げてしまって大変に申し訳ないのだが、『私は猫ストーカー』という映画は決してつまらない作品ではないと思うけど、しかし、本編よりもDVDの特典映像としてついている「浅生ハルミンの猫ストーカー指南」の方が面白いと思ってしまう。本…

●書かれた言葉において重要な事は、記述された言葉の形式や整合性や自律性(言葉そのもの)でもなく、言葉によって書かれている事柄の内容(事柄そのもの)でもなく、記述の有り様と、記述された事柄との関係なんだと思う。あるいは、記述することによって記述さ…

●群像新人文学賞の贈呈式に行って来た。知っている人が全然いなくて、一人で隅の方でぽかーんとしていた。ナマ田中和生をはじめて見た、とか、絲山秋子は思いの外背が高く、思いの外顔がちっちゃい、とか思いながら。二十六階からの景色を眺めて、埼京線と有…

●青山ブックセンター本店に、佐々木中×保坂和志のトークを聞きに行く。佐々木さんの言うことはいちいちもっともなことだし、内容的には素晴らしいと思うのだが(そしてたいへんに勇気づけられたのだが)、しかし、佐々木さんは聴衆を前にすると普通のしゃべり…

●もう一度改めて野水陽介の「後悔さきにたたず」(「群像」六月号)を読んだのだが、やはり相当に面白いと思う。流れが淀むようなところが何カ所かあるようには思うけど、それ以外は、これはこのように書かれなければならなかったという必然性に、正確に忠実…

●「群像」六月号に載っていた、群像新人賞を受賞した小説(「後悔さきにたたず」野水陽介)がかなり面白い。で、受賞の言葉のページの写真をみてみたら、「ああ、こういう小説書きそう」という顔が映っていたのでさらに興味をもった。 最初、詳細な記述が冗長…

●お知らせ。「新潮」六月号に、岡田利規の戯曲集『エンジョイ・アワー・フリータイム』の書評、「リアルフィクションの希望」を書いています(http://www.shinchosha.co.jp/shincho/newest/)。 ●ウィリアム・リュプチャンスキーが亡くなったのか…。 ●柴崎友香…

●とても近い過去(この一週間くらいの間)に、映画作品をひとつ完成させたという確かな手応えを伴う記憶があるのだが、その記憶が、他の記憶との間に整合性をもたない。つまり、この一週間の出来事を思い浮かべてみても、その流れのなかに「映画を完成させる」…

●『しんぼる』(松本人志)をDVDで。驚いた。途中はけっこう退屈していて、どこで観るのをやめようか、リモコンの停止のボタンを押すタイミングをはかりながら観ているという感じだったのだが、ふたつの世界がふいに繋がる瞬間が素晴らしくて、ああ、ここまで…

●「作品」というのは、基本的に過去と未来とにかかわるもので、現在とはあまり関係がないものなのではないか(というか、であるからこそ現在とはすれ違うのではないか)。あるいは、作品の現在性とは、徹底してアクチュアルではない現在に向けられるものなので…

●以下は『煙の樹』(デニス・ジョンソン)の戦闘場面からの引用。ここには、「言葉」の機能と密接に結びついたフィクションの萌芽があるように思う。現状を言葉で描写することで、絶望的な現状から半ば離脱してメタ的な視点を確保出来ること。そして、現状の描…